叙事詩環のアルクティノスは、ゼウスがダルダノスに与えたパラディオンは一つだけで、それは落城まで神殿の奥に隠されていた、表に出ていたのは盗もうとする者を欺くために作った寸分違わぬ写しで、ギリシャ勢が持ち去ったのはその写しだった、と語ったと伝えられる。
アルクティノス(伝)『イリオスの陥落』 前7世紀頃、ハリカルナッソスのディオニュシオス『ローマ古代誌』 前7年頃
Παλλάδιον物品
金属元素パラジウム。1803年、ある化学者がこの名を付けた。前の年に見つかった小惑星パラスにちなんだ名で、パラスとは女神アテナの呼び名の一つである。英語のパラディウムは、それより前の1600年ごろから、「国や町を守るもの、安全の保証」というたとえにも使われていた。
もとになったのは、トロイアの町を守っていたという女神の木像、パラディオンである。その像がどこから来て、どこへ行ったのか、たどってみよう。
後の神話集によれば、女神アテナは生まれてから、海の神トリトンのもとで育てられた。トリトンにはパラスという娘がいて、二人はいつも一緒に武芸を競って遊んでいた。あるとき、二人のあいだに争いが起きる。ゼウスが間に入り、胸を守る山羊皮の防具をかざしたので、驚いたパラスが見上げた隙に、アテナの一撃が当たってしまった。パラスは死んだ。
悲しんだアテナは、パラスに似せた木像を作り、ゼウスのそばに立てた。のちにこの像は、トロイアの地へ落とされる。トロイアの町を建てた王が、しるしを見せてほしいとゼウスに祈ると、天から降ってきた像が、王の天幕の前に横たわっていたのである。高さは、ひじから指先までの長さの3倍ほど。両足をそろえ、右手に槍を掲げ、もう片方の手には糸巻き棒と紡錘を持っていた。王はこの像を祀る神殿を建てた。
この像が城内にあるかぎり、トロイアは落ちない。トロイア戦争が10年目に入ったころ、捕らえられたトロイアの王子の予言で、ギリシャ方はそのことを知る。
像を盗み出す役を引き受けたのは、知恵者オデュッセウスだった。みすぼらしい姿に身をやつし、物乞いのふりをして夜のトロイアへ忍び込む。城内で正体に気づいたのはヘレネだけだったが、彼女は手を貸してくれた。オデュッセウスは像を盗み出し、勇将ディオメデスとともに船へ運んだ。守りを失ったトロイアは、まもなく木馬の計略で落ちる。
ローマの詩人ウェルギリウスの『アエネイス』では、この盗みが、木馬を町に引き入れさせる嘘の材料に使われる。ギリシャ人に置き去りにされたふりをした男が言う。あの二人は血に汚れた手で女神の像に触れた。それで女神の心はギリシャから離れた。その償いに作ったのが、この木馬だ。城内に入れれば、トロイアが勝つ、と。
盗まれたのは本物だったのか。ローマの側には、別の伝えがあった。像は一つではなかった。本物は神殿の奥に隠され、表に出ていたのは、盗もうとする者を欺くために作った写しだった、というのである。落城の夜、英雄アイネイアスが本物を持ち出してイタリアへ運び、それはローマのウェスタの神殿で、聖なる火とともに乙女の巫女たちに守られている、と伝えられた。
この物語の出典: レスケス(伝)『小イリアス』、アルクティノス(伝)『イリオスの陥落』、ウェルギリウス『アエネイス』、ハリカルナッソスのディオニュシオス『ローマ古代誌』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
叙事詩環のアルクティノスは、ゼウスがダルダノスに与えたパラディオンは一つだけで、それは落城まで神殿の奥に隠されていた、表に出ていたのは盗もうとする者を欺くために作った寸分違わぬ写しで、ギリシャ勢が持ち去ったのはその写しだった、と語ったと伝えられる。
アルクティノス(伝)『イリオスの陥落』 前7世紀頃、ハリカルナッソスのディオニュシオス『ローマ古代誌』 前7年頃
ディオニュシオスによれば、落城のときアイネイアスは城砦を押さえて大いなる神々の像と残っていたパラディオンを持ち出し、イタリアへ運んだ(オデュッセウスとディオメデスが盗んだのはもう一つのほうだという)。このパラディオンはローマのウェスタの神殿で、聖なる火とともに乙女の巫女たちが守っていると伝えられる。
ハリカルナッソスのディオニュシオス『ローマ古代誌』 前7年頃
アポロドロスによれば、アテナは生まれたあとトリトンに育てられ、その娘パラスと武芸を競って遊んでいた。ある時ゼウスがアイギスをかざして割って入り、驚いて見上げたパラスがアテナの一撃で死んでしまう。悲しんだアテナはパラスに似せた木像を作ってゼウスの傍らに立てた。のちにこの像はイリオンの地に落とされ、町を築いたイロスが祀った。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
イロスが「しるしを見せてほしい」とゼウスに祈ると、天から落ちてきた像が天幕の前に横たわっていた。高さは3キュビットで、両足をそろえ、右手に槍を掲げ、もう一方の手に糸巻き棒と紡錘を持っていたという。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
『アエネイス』では、この盗みの話をシノンが嘘に利用する。二人が血に汚れた手で女神の像に触れたため女神の心がギリシャ勢から離れ、その償いとして木馬を作ったのだ、城内に入れればトロイアが勝つ、と信じ込ませる。
ウェルギリウス『アエネイス』 前19年頃
英語 palladium は1600年頃から「守り神、安全を保障するもの」の比喩でも使われる。金属元素パラジウムは、1803年に化学者ウォラストンが、前年に見つかって女神の名を付けられた小惑星パラスにちなんで名づけたもの。
ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
ヘレノスが明かした「トロイアを落とす条件」の一つがパラディオンを盗むことだった。オデュッセウスは身をやつして物乞いとして城内に入り、ヘレネに気づかれながらも協力を得て像を盗み出し、ディオメデスとともに船へ運んだ。『小イリアス』の要約では、この盗みのすぐあとに木馬が作られる。
レスケス(伝)『小イリアス』 前7世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
パラジウム(元素 Pd)/ palladium(守り神)英語 palladium は、まずトロイアを守ったパラス・アテナの神像パラディオンの意味で入り、1600年頃から「国や制度を守るもの」の比喩として使われた。元素のパラジウムは、化学者ウォラストンが1803年に名づけたもの。直接には、前年の1802年にドイツの天文学者オルバースが発見し、女神にちなんでパラスと名づけた小惑星から取っている。女神の像 → 小惑星 → 金属という順に名前が渡った。