ヘラが大蛇ピュトンを差し向けてレトを追わせたとする話は讃歌には無く、アポロドーロスなど後代の伝承に見える。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

Λητώ神
眠る双子のアポロンとアルテミスに寄り添う母レト。リンハートの大理石像。 『ラトナとその子ら、アポロとディアナ』 ウィリアム・ヘンリー・ラインハート 1870年(彫刻は1874年) メトロポリタン美術館Public Domain (The Met Open Access, CC0)
身ごもった女神が、ギリシャじゅうの島と岬を回って、子を産ませてくれと頼んで歩いた。どこも首を縦に振らない。お腹の子が恐ろしすぎたからだ。
生まれてくるのは、光と弓の神アポロン。母は女神レトである。アポロンと狩りの女神アルテミスの双子を産むまでに、この母はひどい目にあっている。
『神統記』によれば、レトはティタンと呼ばれる古い神々の娘で、神々の中でいちばん穏やかな、いつもやさしい女神だった。ゼウスとのあいだに双子を授かったのは、ゼウスがヘラを妻にする前のことだという。
お産の場所探しを詳しく語るのは、『ホメロス風讃歌』の中のアポロンにささげた歌だ。レトはクレタ、アテナイ、エーゲ海の島々から小アジアの岬まで、数えきれない土地を訪ねた。どの土地もひどく震えおびえて、いちばん豊かな土地でさえ、この神を受け入れようとしなかった。
最後にたどり着いたのが、岩だらけの小島デロスだった。レトは島に語りかける。ここに息子の神殿を建てさせてくれるなら、あなたは牛も羊もぶどうも育たない痩せた島だけれど、人々が捧げ物を持って押し寄せ、豊かになれる。島は喜んだが、一つだけ心配を口にした。生まれてくる神はとても傲慢だと聞く。こんな岩ばかりの島など、生まれてすぐに足で海の底へ蹴り落としてしまうのではないか。だから、最初の神殿を必ずここに建てると、大いなる誓いを立ててほしい。レトは天と地と冥界の川ステュクスにかけて誓った。
それでも、お産は始まらなかった。レトは9日9晩苦しんだ。女神たちが大勢付き添っていたが、お産の女神だけがいない。ゼウスの妻ヘラが嫉妬して、オリュンポスの金色の雲の下に引き止めていたからだ。女神たちは虹の女神イリスを使いに出し、長さ4メートルほどもある金の首飾りを約束して、ヘラに気づかれないようにお産の女神を呼び出させた。
お産の女神が島に足を踏み入れると、レトはすぐに産気づいた。棕櫚の木に腕を回し、柔らかな草の上に膝をつくと、大地が喜びに笑った。生まれた子は、神の食べ物を口にしたとたん金の帯を振りほどき、竪琴と弓こそわが友だと宣言した。デロスの島は、一面黄金に輝いたという。アルテミスは、それより前に別の島で生まれていた。
同じ讃歌の冒頭には、成長した息子とのほほえましい場面もある。アポロンが弓を引きしぼってゼウスの館に入ってくると、神々は皆震えて席から飛び上がる。落ち着いているのはレトだけで、息子の弓の弦をゆるめ、矢筒を閉じ、弓を肩から下ろして柱の金の釘に掛けてやる。
母をあなどる者は、双子が許さなかった。子だくさんを自慢し、レトは二人しか産んでいないと言い放った女ニオベは、アポロンとアルテミスに子をすべて射殺された。ローマの詩人オウィディウスは、赤ん坊の双子を抱いて逃げる旅の途中、喉が渇いて池の水を飲もうとしたレトを、土地の農夫たちが追い払い、池をかき回して泥水にした話を伝えている。いつまでもその泥池で暮らすがいい、とレトが天に手を上げると、農夫たちは蛙になった。

『イリアス』の神々の戦いでは、レトはトロイア方に立つ。相手をするはずの伝令神ヘルメスは、ゼウスの妻たちと争うのはごめんだ、勝ったと言いふらしてくれてかまわない、と戦いを降りた。レトは、ヘラに打たれて泣きながら逃げた娘アルテミスの弓と矢を、土埃の中から拾い集めて帰った。
この物語の出典: ホメロス『イリアス』、ヘシオドス『神統記』、作者不詳『ホメロス風讃歌』、オウィディウス『変身物語』
ヘラが大蛇ピュトンを差し向けてレトを追わせたとする話は讃歌には無く、アポロドーロスなど後代の伝承に見える。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
オウィディウスでは、双子を抱いて放浪するレトがリュキアの池で水を飲もうとすると、農夫たちが拒んで池を泥でかき回したため、レトの呪いで蛙に変えられた。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
ティタン族コイオスとポイベの娘。ヘシオドスは「濃紺の衣の、常に優しいレト、神々の中で最も穏やかな者」と讃える。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃
ゼウスとの間にアポロンとアルテミスを産んだ。ヘシオドスはヘラの前の妻として列挙する。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃
出産の場所を求めて多くの土地を訪ねたが、生まれる神の恐ろしさを恐れてどこにも断られた。岩だらけで痩せたデロス島だけが、「必ずここに神殿を建てる」という誓いと引き換えに受け入れた。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
九日九夜苦しんだ。出産の女神エイレイテュイアがヘラに引き止められて来られなかったためで、イリスが使いに出て虹の女神の説得で事態が動く。棕櫚の木に寄りかかって産んだ。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
神々の戦いでヘルメスと対することになるが、ヘルメスは「ゼウスの妻たちと争って勝ったなどと言いたくない」と辞退する。レトは戦場に散った娘アルテミスの弓と矢を拾い集めて去る。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
ニオベが「自分には十二人の子がいるのにレトには二人しかいない」と誇ったため、アポロンとアルテミスがその子らをすべて射殺した。ホメロスはアキレウスの口を通してこの話を語る。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
デロス島は、生まれる神が傲慢で、痩せた岩の島など足で海へ蹴り落とすのではないかと恐れ、最初の神殿をここに建てるという大いなる誓いをレトに求めた。レトは大地・天・ステュクスの水にかけて誓った。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
讃歌の冒頭で、弓を引いてゼウスの館に入るアポロンに神々が皆震えて立ち上がる中、レトだけがゼウスのそばに残り、息子の弓の弦をゆるめ矢筒を閉じて金の釘に掛けてやる。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
140 身ごもったレトを殺そうと追う
『アポロン讃歌』92-95 デロスでのレトのお産に付き添った女神の一人
30-126
6.317-381