「アポロン讃歌」は、レトがアルテミスをオルテュギアで、アポロンを岩がちのデロスで産んだと歌い始める。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
Δῆλος場所
嵐の海を漂い、ようやく浜に流れ着いた英雄オデュッセウス。目の前に現れた王女に、彼はこう語りかける。あなたのような人は、男でも女でも見たことがない。前に一度、デロスで、アポロンの祭壇のそばに伸びるヤシの若木を見たとき、同じように長いあいだ見とれた、と。ホメロスの『オデュッセイア』の一場面である。
英雄が引き合いに出したデロスは、エーゲ海の真ん中に浮かぶ小さな島。光の神アポロンが生まれた島である。
身ごもった女神レトは、子を産む場所を探して、ギリシャじゅうの土地を回った。どこも、生まれてくる神の恐ろしさにおびえて断った。『ホメロス風讃歌』の中の「アポロン讃歌」によれば、最後に受け入れたのが、岩だらけでやせたこの島だった。
もっとも、島にも不安があった。わたしの土は、かたい岩ばかり。生まれた神が日の光を見たとたん、こんな島はいやだと、足で海へ蹴り落としてしまうのではないか。島はレトに、まずここに神殿を建てると誓ってほしいと頼んだ。レトは、大地と天と、冥界の川ステュクスの水にかけて誓った。
お産は九日九夜かかった。出産の女神が、ヘラに引き止められて来られなかったからだ。ほかの女神たちが虹の女神イリスを使いに出して、ようやく出産の女神が島にやって来る。レトはヤシの木に腕を回して、アポロンを産んだ。そのとき、島じゅうが金に覆われ、山の頂が森の花で咲きこぼれるように輝いたという。讃歌によれば、双子の姉妹アルテミスのほうは、別の島で生まれた。

アポロンは各地に神殿を持つが、讃歌によれば、神がいちばん心を楽しませるのはデロスだった。長い衣のイオニアの人々が、子や妻を連れて島に集まり、拳闘や踊りや歌の競技で神をたたえた。デロスの娘たちは、昔の男たちや女たちの物語を歌って、人々を魅了したという。讃歌を作った人は、自分のことを「岩がちのキオス島に住む、目の見えない男」と名乗っている。
島の神聖さは、歴史の時代にも重んじられた。歴史家ヘロドトスによれば、ペルシャの大軍がギリシャへ攻めてきたとき、島の人々は逃げ出した。ところがペルシャの将軍は使者を送り、二柱の神が生まれた土地には手を出さないと告げて、祭壇に大量の乳香を焚いた。その軍が島を去ったあと、デロスは地震に揺れた。島の人々によれば、後にも先にも、それがただ一度の地震だったという。ヘロドトスは、これから世の中に起きる災いの前触れだったのだろうと書いている。
この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』、作者不詳『ホメロス風讃歌』、ヘロドトス『歴史』
「アポロン讃歌」は、レトがアルテミスをオルテュギアで、アポロンを岩がちのデロスで産んだと歌い始める。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
レトは子を産む場所を求めて多くの土地を訪ねたが、どこも生まれる神を恐れて受け入れなかった。デロスは、自分は岩ばかりの痩せた土地なので、生まれた神が嫌って海へ蹴り落とすのではないかと恐れ、まずここに神殿を建てるという誓いを求めた。レトは大地・天・ステュクスの水にかけて誓った。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
お産は九日九夜に及んだ。出産の女神エイレイテュイアがヘラに引き止められていたためで、女神たちがイリスを使いに出して呼び寄せ、エイレイテュイアが島に着くと、レトはヤシの木に腕を回してアポロンを産んだ。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
ゼウスとレトの子を見て、デロスは喜びのあまり全島が金に覆われ、山の頂が森の花で咲くように輝いた。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
アポロンは多くの神殿を持つが、最もデロスで心を楽しませる。長い衣のイオニア人が子や妻を連れて集まり、拳闘・踊り・歌で神をたたえた。デロスの娘たちは昔の男女の物語を歌って人々を魅了した。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
讃歌の語り手は、自分を「岩がちのキオスに住む盲目の男」と呼び、デロスの娘たちに自分の名を伝えるよう頼む。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃
『オデュッセイア』でオデュッセウスは、ナウシカアの姿を、かつてデロスのアポロンの祭壇のそばで見て驚いた、若いヤシの若木にたとえる。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
ペルシャ軍が来るとデロスの人々はテノス島へ逃げたが、ペルシャの将軍ダティスは使者を送り、二柱の神が生まれた土地と住民には手を出さないと告げて、祭壇に300タラントンの乳香を焚いた。
ヘロドトス『歴史』 前430年頃
ダティスの軍が去ったあと、デロスは地震に揺れた。デロスの人々によれば、ヘロドトスの時代までに後にも先にもただ一度の地震で、ヘロドトスはこれを、その後の三代にギリシャを襲う災いの前触れとして神が送ったものと考えた。
ヘロドトス『歴史』 前430年頃