語源辞典によれば、ローマ以前のギリシャ美術ではサテュロスは馬の尾と耳を持つ人間に似た姿で描かれ、山羊の半身を持つ姿はローマの彫刻家が土地のファウヌスと同化させたことによる。語源は分かっていない。
ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)

Σάτυροι怪物
ニンフたちに引かれていく山羊脚のサテュロス。ブグローの絵。 『ニンフとサテュロス』 ウィリアム・アドルフ・ブグロー 1873年 クラーク美術館Public domain
哲学者ソクラテスは、弟子のひとりから「サテュロスにそっくりだ」と言われたことがある。プラトンの『饗宴』の一場面だ。宴に酔って現れた若者は、先生の顔かたちは、職人の店に並ぶ年老いたサテュロスの像や、笛の名手のサテュロスにそっくりだと言う。ただし、その像を二つに割ると、中から神々の像が現れる。笛の音で人を酔わせたサテュロスと違い、先生は言葉だけで人の心を奪ってしまう。からかいではなく、ほめ言葉だった。
ソクラテスがたとえられたこの者たちは、もともとどう語られていたのか。
古い記録は、彼らにあまり親切ではない。ヘシオドスの詩の断片は、山のニンフたちや、踊りの好きな神々と並べて、「役立たずで、働く気のないサテュロスの一族」と呼んでいる。
姿も、いまよく思い浮かべられるものとは少し違った。語源辞典によれば、ローマより前のギリシャの美術では、サテュロスは人間に似た姿に、馬の尾と馬の耳を持っていた。山羊のような下半身で描くのは、ローマの彫刻家たちが自分たちの土地の野の神と重ね合わせてからのことだという。年を取ったサテュロスは、特にシレノスと呼ばれた。山奥の洞窟でニンフたちと交わる者として、『ホメロス風讃歌』にも顔を出す。

サテュロスたちの主人は、酒の神ディオニュソスだった。酒と踊りと騒ぎが何より好きで、神の祭りにはいつもついて回る。その陽気でだらしない姿を舞台にのせたのが、「サテュロス劇」と呼ばれる芝居だ。完全な形で今に残る唯一の作品、エウリピデスの『キュクロプス』を見てみよう。
幕が開くと、年老いたシレノスがぼやいている。女神ヘラの差し向けた海賊にディオニュソスがさらわれ、自分は息子のサテュロスたちを連れて船で追いかけた。ところが嵐でシチリアのエトナ山に流され、一つ目の巨人ポリュペモスにつかまって、奴隷にされてしまった。息子たちは、酒も踊りもない山で巨人の羊を追っている。
そこへオデュッセウスの一行がやって来る。巨人が客人を食べはじめると、オデュッセウスは、巨人を酔わせて目を焼く計略を立て、サテュロスたちに手伝いを頼む。百台の荷車の荷でも軽々と持ち上げてみせる、と彼らは威勢よく引き受けた。ところが、いざ焼けた杭を握る段になると、急に言い出す。戸口のここからでは遠すぎて届かない。いま急に足が悪くなった。立っていただけなのに足首をくじいた。目に灰が入った。代わりに、杭がひとりでに巨人の頭へ飛び込んでいく、とっておきのまじないを知っている、と。あきれたオデュッセウスは、自分の仲間だけで事を成し遂げる。最後にサテュロスたちは、オデュッセウスの船に乗せてもらって、再びディオニュソスに仕えに帰っていく。
サテュロスには悲しい話もある。笛の名手マルシュアスは、音楽の神アポロンに腕比べを挑んで敗れ、生きたまま皮をはがされた。ヘロドトスは、その皮が小アジアの町の広場に吊るされていたと書いている。ローマの詩人オウィディウスによれば、野の神々や兄弟のサテュロスたち、ニンフたちが彼のために泣き、その涙が一つの川になった。
2世紀の旅行家パウサニアスは、サテュロスが本当にいるのかを知りたくて、多くの人に尋ねて回った。ある船乗りは、風に流されて知られた海の外に出たとき、「サテュロスの島々」に行き当たったと語った。住人は赤毛で、腰には馬に劣らない大きさの尾が生えていた。彼らは声も立てずに船へ駆け寄り、乗っていた女たちに襲いかかったという。
この物語の出典: 作者不詳『ホメロス風讃歌』、ヘシオドス(に帰される)『女たちのカタログ(エーホイアイ)断片』、ヘロドトス『歴史』、エウリピデス『キュクロプス』、プラトン『饗宴』、オウィディウス『変身物語』、ストラボン『地理誌』、パウサニアス『ギリシア案内記』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
語源辞典によれば、ローマ以前のギリシャ美術ではサテュロスは馬の尾と耳を持つ人間に似た姿で描かれ、山羊の半身を持つ姿はローマの彫刻家が土地のファウヌスと同化させたことによる。語源は分かっていない。
ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
ストラボンは、シレノス、サテュロス、バッカイ、レナイ、テュイアイ、ミマロネス、ナイアス、ニンフ、ティテュロスと呼ばれる者たちを、ディオニュソスに仕える者として並べる。
ストラボン『地理誌』 1世紀初頭
パウサニアスは、サテュロスが何者かを多くの人に尋ね、カリアの人エウペモスから、外洋に流されて「サテュリデス」と呼ばれる島々に着いた話を聞いた。住人は赤毛で、腰に馬に劣らぬ尾があり、船の女たちに襲いかかったという。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
英語の satire(風刺)は、ラテン語の satura(「いろいろ盛った皿」)から来ており、satyr とは語源が別である。
ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
ヘシオドスの断片(ストラボンの引用)では、ヘカテロスとポロネウスの娘から生まれた5人の娘から、山のニンフたちと「役立たずで働くに向かないサテュロスの一族」、踊る神々クレテスが出たとされる。サテュロスの最も古い言及の一つ。
ヘシオドス(に帰される)『女たちのカタログ(エーホイアイ)断片』 前6世紀頃、ストラボン『地理誌』 1世紀初頭
パウサニアスは、サテュロスのうち年長の者をシレノスと呼ぶと書く。『アプロディテ讃歌』では、シレノスたちとヘルメスが、山のニンフと洞窟の奥で交わる。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃、パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
エウリピデス『キュクロプス』は、サテュロスたちを合唱隊とするサテュロス劇で、完全に残る唯一の作品。ヘラの差し向けたテュレニアの海賊にさらわれたディオニュソスを追ったシレノスとサテュロスたちが、嵐でエトナ山に流され、ポリュペモスの奴隷になっている。
エウリピデス『キュクロプス』 前408年頃
オデュッセウスに焼けた杭を握るよう頼まれると、サテュロスたちは、戸口からでは遠すぎる、急に足が悪くなった、立っていて足首をくじいた、目に灰が入った、と言い訳を重ね、オルペウスのまじないで杭をひとりでに飛び込ませると申し出る。オデュッセウスは「役に立たない味方だ」とあきれる。
エウリピデス『キュクロプス』 前408年頃
ヘロドトスは、プリュギアのケライナイの広場に「シレノスのマルシュアスの皮」が吊るされ、アポロンにはがされたものだと伝える。オウィディウスはマルシュアスをサテュロスと呼び、兄弟のサテュロスたちがその死を嘆いたとする。
ヘロドトス『歴史』 前430年頃、オウィディウス『変身物語』 8年頃
プラトン『饗宴』で、アルキビアデスはソクラテスを、割ると中に神々の像が入っている職人の店のシレノス像と、サテュロスのマルシュアスにたとえる。マルシュアスが笛で人を魅了したように、ソクラテスは楽器なしに言葉だけで人を夢中にさせる、という賛辞。
プラトン『饗宴』 前4世紀前半
風刺 / satire(サテュロスとは別の言葉)英語の satire(風刺)は、半人半獣の森の精サテュロス(satyr)と綴りも音も似ているが、もとは別の言葉である。語源辞典によれば、ラテン語の satura がもとで、「いろいろな果物を盛った皿」、字義どおりには「満ち足りた皿」を指した。ローマの詩人がさまざまな韻律と話題の詩を集めたものをこう呼んだのが、文学の意味の始まりである。ところがラテン語の中で、この言葉は綴りを変えていった。風刺詩はギリシャの「サテュロス劇」と関係があるという誤った思い込みから、サテュロスに引きずられた形になったのだという。別の言葉だったのに、似ているせいで本当に似せられてしまった例である。英語では1500年ごろから見える。