ギリシャ神話の地図
ゼウス主アポロン勝者ポセイドン贈り主ヘラ女神ヘラクレス創始者クロノス古い主ニケ勝利カストル審判

オリュンピア

Ὀλυμπία場所

4年に一度のオリンピック。その名は、ギリシャ南部、ペロポネソス半島の西にあった聖地オリュンピアから来ている。ここでは紀元前776年から4年ごとに、神々の王ゼウスをたたえる競技の祭りが開かれた。いまの大会は、1896年に始まったその復活版である。オリュンピアという地名も、神々の住む山オリュンポスと同じ言葉から来ているが、その言葉のもとの意味は分かっていない。

1889年に撮られた、オリュンピアのヘラ神殿の跡。
1889年に撮られた、オリュンピアのヘラ神殿の跡。『オリュンピア、古代のヘラ神殿の跡』 写真(撮影者不詳) 1889年 ギリシャ、オリュンピア遺跡Public domain

始まりの語りは一つではない。競技の勝者をたたえる詩を数多く書いたピンダロスは、英雄ヘラクレスが始めたと語る。ヘラクレスは、この地方のある王に仕事をさせられながら、約束の報酬を踏み倒された。のちに軍を率いて戻り、王の町を火と鉄で滅ぼすと、兵と戦利品をこの地に集め、父ゼウスのために聖域を測って囲った。それまで名もなく、雪に覆われていた丘を「クロノスの丘」と名づけ、川と十二の神々をたたえた。そして戦利品の最上のものを神に捧げ、4年に一度の祭りを定めて、最初の競技を開いた。

最初の勝者たちの名も伝わっている。徒競走、レスリング、ボクシング、四頭立ての戦車、槍投げ、石投げ。石が誰よりも遠くへ飛んだとき、仲間の兵士たちからどっと歓声が上がった。夕方には美しい月が昇り、聖域全体が勝利の歌で満ちた。

勝者の頭にのせるオリーブの冠にも、いわれがある。ピンダロスによれば、聖域を開いたころ、クロノスの丘のふもとには木が一本もなく、照りつける日差しにさらされていた。ヘラクレスは、以前ある仕事で金の角を持つ鹿を追い、北風の彼方の国まで行ったときに見た木を思い出した。そしてその国の人々を説き伏せてオリーブの木をもらい受け、競技場のまわりに植えた。すべての人が分かち合う木陰であり、優れた者に与える冠となるように。

2世紀の旅行家パウサニアスは、地元の学者たちから別の話を聞いている。ここにはかつて、ゼウスの父クロノスの神殿があった。赤子のゼウスを預かった守り役の兄弟たちがクレタ島からここへやって来て、その長兄が遊びで弟たちと駆けくらべをし、勝った者に野生のオリーブの枝をかぶせた。これが競技の始まりだというのだ。ゼウス自身が、王座をかけてここで父クロノスと組み打ちをしたという話も、勝利を祝って競技を開いたという話もあった。記録された勝者の中には、足の速さでヘルメスに勝ち、ボクシングで軍神アレスを倒したアポロンの名まである。

この地には、もう一つ忘れてはならない競走の話がある。このあたりを治めていた王は、娘の婿の候補に戦車競走を挑み、負けた者を槍で殺していた。犠牲になった求婚者は、すでに13人。そこへ現れた若者ペロプスは、夜の海辺で海の神ポセイドンに祈り、黄金の戦車と疲れを知らない翼のある馬を授かった。ペロプスは王に勝ち、王女を妻にした。

ピンダロスは、ペロプスが今も川の渡り場のそば、人の絶えない祭壇の隣に墓を持ち、その名声がオリュンピアの競走の中で遠くまで輝いていると書いた。パウサニアスの時代にも、地元の人々は英雄の中でペロプスを最も敬い、毎年黒い雄羊を捧げていた。妻になった王女は、結婚のお礼に女神ヘラのための競技を始めたと伝わる。4年ごとに娘たちが年の順に走る徒競走で、勝者はオリーブの冠を受けた。

戦車に乗るペロプスと王女。
戦車に乗るペロプスと王女。『ペロプスとヒッポダメイアを表したテラコッタの浮彫板』 前27〜後68年 メトロポリタン美術館Public Domain (The Met Open Access, CC0)

一方で、男たちの競技祭を女が見ることは固く禁じられていた。見つかった女は、近くの崖から突き落とされる決まりだった。それでも一人だけ、禁を破った女がいたという。夫を亡くしたその女は、指導者に変装して息子を競技に連れてきた。息子が勝つと、喜んで囲いを跳び越えたはずみに、女であることがばれてしまう。父も兄弟も息子も、みなオリュンピアの勝者だったことに免じて許されたが、それ以来、指導者も裸で会場に入る決まりになった。

聖域の中心には、ゼウスの神殿が建っていた。中に座るのは、アテナイのパルテノン神殿の女神像も手がけた彫刻家ペイディアスが、金と象牙で作ったゼウス像である。頭にオリーブの冠をいただき、右手に勝利の女神ニケ、左手に鷲のとまる杖を持って、玉座に腰かけていた。像が完成すると、ペイディアスは、この出来が気に入ったならしるしを見せてほしいと神に祈った。すると床に雷が落ちたという。

この物語の出典: ピンダロス『祝勝歌集』、ストラボン『地理誌』、パウサニアス『ギリシア案内記』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』

この物語の人々

こういう風にも語られている

ピンダロスでは、ヘラクレスが報酬を払わなかったエペイオイの王アウゲイアスとその味方を討ち、戦利品をピサに集めて父ゼウスのために聖域アルティスを区切り、名のなかった丘をクロノスの丘と名づけ、アルペイオス川と十二の神々をたたえて、4年ごとの祭りと最初の競技を創設した。

ピンダロス『祝勝歌集』 前5世紀前半

パウサニアスが聞いたエリスの学者の説では、オリュンピアには黄金の種族がクロノスのために建てた神殿があり、赤子のゼウスを預かったクレタのイデのダクテュロイ(クレテス)五兄弟の長兄ヘラクレスが、弟たちと駆けくらべをして勝者に野生のオリーブを冠らせたのが始まり。五人兄弟だったので「5年目ごと」(4年ごと)に開いたという。

パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

パウサニアスはさらに、ゼウスが王座をかけてここでクロノスと組み打ちをしたという説、クロノスに勝った祝いに競技を開いたという説を挙げ、勝者の記録にはヘルメスに走りで勝ち、アレスに拳闘で勝ったアポロンの名があると伝える。

パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

ローマ以後の語り

英語 Olympic は、ゼウスの神殿があり、オリュンポスのゼウスをたたえる競技が前776年から4年ごとに開かれたエリスの地オリュンピアを指す形容詞でもある。ギリシャ語 Olympikos から、さらに Olympos から来ており、その語源は山の名でも地名でも分かっていない。近代オリンピックは1896年に始まった復活である。

ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)

パウサニアスは、競技を主催した者を、クレタのクリュメノス、エンデュミオン、ペロプス、ペリアスとネレウス、アウゲイアス、アンピトリュオンの子ヘラクレス、オクシュロスと並べ、その後いったん途絶えてイピトスが復興し、連続した記録はエリスのコロイボスの徒競走の勝利から始まる、とする。

パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

聖域アルティスの中にはペロプスの聖域(ペロピオン)があり、エリスの人々はゼウスを神々の中で最も敬うように、ペロプスを英雄の中で最も敬った。聖域はヘラクレスが区切ったとされ、役人が毎年黒い雄羊を捧げていた。

パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

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4年ごとに16人の女たちがヘラの衣を織り、娘たちの徒競走「ヘライア」を催した。娘たちは髪を垂らし、膝上までの衣で右肩を出して、6分の1ほど短くしたオリュンピアの競走路を走り、勝者はオリーブの冠と牛の肉の分け前を受けた。ヒッポダメイアがペロプスとの結婚のお礼に始めたと伝える。

パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

禁じられた日にオリュンピアの競技祭に居合わせた女は、テュパイオン山の崖から突き落とす決まりがあった。見つかったのは、指導者に変装して息子の試合に来たカリパテイラ(ペレニケとも)だけで、父・兄弟・息子がみな勝者だったことに免じて許され、以後指導者も裸で入場する決まりになったという。

パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

ゼウス神殿の像はペイディアス作の金と象牙の座像で、頭にオリーブの冠、右手にニケ、左手に鷲の止まる笏を持つ。完成時にペイディアスがしるしを求めると床に雷が落ち、その場所には青銅の壺が置かれていた。象牙を湿気から守るため、像の前の床にはオリーブ油がためられた。

パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀

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ホメロスはオリュンピアの競技祭に触れていない。『イリアス』でネストルが語る、エリスでの三脚釜を賞品にした戦車競走は、エリスの王アウゲイアスが馬を取り上げた話として出てくるだけで、ストラボンもこれを冠の競技ではないとして、トロイア戦争のころにはオリュンピアの競技は無かったか有名でなかったと論じる。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、ストラボン『地理誌』 1世紀初頭

ピンダロスは最初の競技の勝者を列挙する。徒競走はリキュムニオスの子オイオノス、レスリングはテゲアのエケモス、拳闘はティリュンスのドリュクロス、四頭立て戦車はマンティネイアのサモス、槍投げはプラストル、石投げはニケウス。

ピンダロス『祝勝歌集』 前5世紀前半

ピンダロスによれば、勝者に与えるオリーブの冠は、ヘラクレスが金の角の鹿を追って訪れたヒュペルボレオイ(北風の彼方の民)の国から、説き伏せて持ち帰った木に由来する。木のない炎天の競技場に木陰をつくるためだった。

ピンダロス『祝勝歌集』 前5世紀前半

ピンダロスでは、ピサの王オイノマオスは13人の求婚者を殺していた。ペロプスは夜の海辺でポセイドンに祈り、黄金の戦車と疲れを知らない翼のある馬を授かって王に勝ち、ヒッポダメイアを妻にした。いまペロプスはアルペイオスの渡り場のそば、多くの人が訪れる祭壇の傍らに墓を持つ。

ピンダロス『祝勝歌集』 前5世紀前半

今の言葉に残る

オリンピック / Olympic英語 Olympic は、ギリシャのエリス地方の聖地オリュンピアを指して使われる形容詞でもある。ここではオリュンポスのゼウスをたたえる競技が、前776年から4年ごとに開かれた。語はギリシャ語 Olympikos から、さらに山の名 Olympos から来ており、Olympos という名のもとの意味は分かっていない。Olympics は Olympic games の略で1630年代から見え、近代オリンピックは1896年に始まった復活である。

オリンピックの聖火オリンピックの会場で燃え続ける聖火は、古代ギリシャのオリンピックでゼウスの祭壇に燃えていた聖なる火にならって、1928年の第9回アムステルダム大会から採り入れられた。1936年の第11回ベルリン大会からは、ギリシャのオリンピアでとった火を会場までリレーで運ぶ聖火リレーが始まり、1952年のヘルシンキ大会からはオリンピック憲章で決まりになった。聖火の種火は、凹面鏡で日の光を集めてとる。オリンピアは、ギリシャ神話の神々の王ゼウスの神域として知られる土地で、最高の女神ヘラを祀った前7世紀の神殿の跡も残っている。

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このページの出典(5件)
  1. 前8世紀頃ホメロス『イリアス』
  2. 前5世紀前半ピンダロス『祝勝歌集』
  3. 1世紀初頭ストラボン『地理誌』
  4. 2世紀パウサニアス『ギリシア案内記』
  5. 2001年〜(2026年9月閲覧)ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』