父タンタロスが神々を試すために息子を切り刻んで煮て食卓に出し、娘を探していたデメテルだけが気づかず肩を食べてしまった。神々が彼を釜から蘇らせ、欠けた肩を象牙で作り直した——という話が広く伝わる。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

Πέλοψ英雄
戦車に乗ったペロプスとヒッポダメイア。 『ペロプスとヒッポダメイアを表したテラコッタの浮彫板』 前27〜後68年 メトロポリタン美術館Public Domain (The Met Open Access, CC0)
ギリシャ南部の大きな半島、ペロポネソス。この名は古くから「ペロプスの島」と読まれ、一人の英雄が治めた土地だと言い伝えられてきた。ただし語源の辞典は、人名と地名を結びつけるこの説明は、おそらく後から作られたこじつけだろうとしている。
では、半島に名を残したとされるペロプスが、どんな運命をたどったのか見ていこう。
ペロプスの人生は、恐ろしい宴から始まる。後の時代の神話集がまとめた言い伝えでは、父タンタロスが神々を試そうとして、息子ペロプスを切り刻んで煮込み、神々の食卓に出した。神々はすぐに気づいて手をつけなかったが、娘をさらわれて心ここにあらずだった女神デメテルだけが、肩の肉を食べてしまった。神々はペロプスを生き返らせ、欠けた肩を象牙で作り直してやった。生き返ったペロプスは、前よりいっそう美しかったという。
ところが古代ギリシャの詩人ピンダロスは、この話をきっぱり退けた。神々が人を食うなどというのは、ねたみ深い隣人が作った作り話だ。本当は、美しい少年に恋をした海の神ポセイドンが、彼を天へさらっていったのだ、と。
どちらの話でも、ペロプスはポセイドンに愛された。神話集によれば、ポセイドンは彼に翼のある戦車を贈った。海の上を走っても車軸が濡れないほど速い車だった。
やがてペロプスは、ギリシャ南部ピサ(イタリアのピサとは別の土地)の王女に求婚する。王女の父は、求婚者に命がけの勝負を課していた。求婚者は娘を自分の戦車に乗せてコリントスの地峡まで逃げる。王は鎧に身を固め、軍神アレスから授かった馬で追いかける。追いつかれた者は殺され、首を王の館に釘で打ちつけられた。こうして殺された求婚者は、12人とも言われる。
ペロプスが来ると、その美しさに王女のほうが恋をした。王女は、父の御者を説き伏せて彼の味方につける。御者はひそかに王女に恋をしていたので、言われるまま、王の戦車の車輪に留め具を差し込まずにおいた。競走の途中で車輪が外れ、王は手綱に絡まって引きずられて死んだ。死に際に王は、裏切った御者を呪った。お前はペロプスの手で死ぬがいい。
呪いはすぐに当たる。王女を連れて旅をする途中、ペロプスが妻のために水を汲みに離れたすきに、御者が王女に襲いかかろうとした。それを聞いたペロプスは、御者を海へ投げ落とした。落ちていきながら、御者はペロプスの一族を呪った。
ペロプスはピサの王となり、周りの土地を従えて、それを自分の名にちなんでペロポネソスと呼んだ。息子の一人は、のちにトロイア戦争の総大将となるアガメムノンと、その弟メネラオスの父になる。親子や兄弟が殺し合う、この一族の血塗られた歴史の始まりをどこに置くか。御者の呪いとする言い伝えもあれば、父タンタロスの罪とする言い伝えもある。
ピンダロスによれば、ペロプスの墓は、オリュンピアの競技場のそばにあった。戦車競走で妻を勝ち取った英雄は、古代オリンピックの祭りと結びつけて語られていた。
この物語の出典: ホメロス『イリアス』、ピンダロス『祝勝歌集』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
父タンタロスが神々を試すために息子を切り刻んで煮て食卓に出し、娘を探していたデメテルだけが気づかず肩を食べてしまった。神々が彼を釜から蘇らせ、欠けた肩を象牙で作り直した——という話が広く伝わる。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ピンダロスは『オリュンピア祝勝歌』1 でこの話を正面から退ける。「神々が人を食うなどと言うのは、隣人のねたみが作った作り話だ」として、実際はポセイドンが美しい少年に恋してさらったのだと語り直す。神話が語り手によって作り替えられる様子が、紀元前5世紀の詩の中で直接見られる珍しい例。
ピンダロス『祝勝歌集』 前5世紀前半
アポロドーロスでは、オイノマオスは求婚者に娘を乗せてコリントスの地峡まで逃げさせ、アレスから授かった武具と馬で追って殺し、首を館に釘で打ちつけた(12人とも)。ヒッポダメイアがペロプスに恋し、彼女に恋していた御者ミュルティロス(ヘルメスの子)を説き伏せ、ミュルティロスは車輪に留め具を差さなかった。オイノマオスは手綱に絡まって引きずられて死に(ペロプスが殺したとも)、死に際にミュルティロスを呪った。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
勝利の後、約束を果たさずにミュルティロスを海へ投げ落とす。落ちながらミュルティロスはペロプスの一族を呪った。アトレウス家の呪いの起点をここに置く伝承と、タンタロスの罪に置く伝承がある。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ペロポネソス半島(「ペロプスの島」)の名は彼に由来するとされる。ただし語源辞典は、この人名と地名の結びつけはおそらく民間語源だとする。語源の節も参照。
ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
旅の途中、ペロプスが渇いた妻のために水を汲みに行ったすきにミュルティロスが彼女を襲おうとし、ペロプスは彼をゲライストス岬で海に投げ込んだ(ミュルトオン海の名の由来)。のちにペロプスはヘパイストスに清められてピサの王位を継ぎ、支配した地をペロポネソスと呼んだ。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
蘇ったペロプスは前よりも美しく、ポセイドンの寵愛を受けて、海を走っても車軸が濡れない翼のある戦車を贈られた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ホメロスに出てくるペロプスは、アガメムノンの王笏を受け取った「馬を駆るペロプス」という一行だけ。切り刻まれた話も戦車競走も出てこない。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃
ピンダロスの祝勝歌では、ペロプスの墓はオリュンピアの競技場のそばにあり、オリュンピア祭の起源と結び付けられている。戦車競走の神話が競技祭の由来として語られている。
ピンダロス『祝勝歌集』 前5世紀前半
『オリュンピア祝勝歌』1.90-93 アルペイオスの渡り場のそばの墓。パウサニアス5.8.2 競技を盛大に催す、5.13.1-2 ペロピオン
ペロポネソス半島ギリシャ南部の半島名。後半は nēsos「島」で、前半はタンタロスの息子ペロプスの名だと説明されてきた。ただし語源辞典は、この人名と半島名の結びつけはおそらく民間語源だとする。