アポロドーロスの形: アエトリオスとカリュケの子で、テッサリアからアイオリス人を率いてエリスを建てた。ゼウスの子とする説もある。並外れた美しさに月(セレネ)が恋し、ゼウスが望むものを選ばせると、不死で年を取らないまま永遠に眠ることを選んだ。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

Ἐνδυμίων人間
月の光に照らされて眠るエンデュミオン。アンヌ=ルイ・ジロデの作。 『エンデュミオンの眠り』 アンヌ=ルイ・ジロデ 1791年 ルーヴル美術館CC0
「美しいものは永遠の喜び」。19世紀イギリスの詩人キーツの長詩『エンディミオン』の書き出しで、英語ではよく引かれる一行だ。キーツが描いたのは、夢で見た月の女神を探して、地上から地下、海の底までさまよう羊飼いの王子の物語だった。
もとになったギリシャ神話のエンデュミオンは、さまようどころか、永遠に眠り続けることを選んだ若者である。その話を見ていこう。
アポロドーロスによれば、エンデュミオンは、ギリシャ北部から人々を率いて南へ移り、エリスの町を築いた男だった。ゼウスの子だと言う者もいる。並外れて美しかったので、月の女神セレネが彼に恋をした。ゼウスは彼に、望むものを一つ選ばせた。エンデュミオンが選んだのは、死ぬことも年を取ることもないまま、永遠に眠り続けることだった。
後の時代の詩人たちは、エンデュミオンの眠る場所を、海を渡った小アジアのラトモス山の洞窟に置いた。前3世紀のアポロニオスの叙事詩『アルゴナウティカ』では、恋のために夜道をさまよう若い魔女メデイアを見て、昇ってきた月の女神がほくそえむ。ラトモスの洞窟へさまよって行き、美しいエンデュミオンに焦がれるのは、私ひとりではなかったのね。あなたは呪文で何度も私を空から追い払ったけれど、今度はあなたが恋に苦しむ番よ、と。牧歌の詩人テオクリトスは、月の女神がオリュンポスから降りてきて、牛飼いのエンデュミオンのそばで眠った、と書いている。別の詩では、目覚めることのない眠りを眠るエンデュミオンがうらやましい、とも言わせている。

一方、エリスの人々にとって、エンデュミオンは王家の祖だった。旅行家パウサニアスによれば、月の女神とのあいだに50人の娘をもうけたとも言われるが、人間の妻をめとり、3人の息子と1人の娘をもうけたという話のほうがもっともらしい。エンデュミオンは王位を決めるために、息子たちをオリュンピアで競走させた。勝った息子が王位を継ぎ、負けた息子の一人は悔しさのあまり、できるだけ遠い土地へ去ったという。
眠り続けた若者の墓は、二つの土地が自分のものだと名乗った。エリスの人々は、オリュンピアの競走路のそばに彼の墓を示した。一方、ラトモス山に近い町の人々は、エンデュミオンはラトモス山に退いたのだと言い、山には彼を祀る祠があった。地理学者ストラボンも、ラトモス山のそばの洞窟に彼の墓があると書いている。
この物語の出典: テオクリトス『牧歌(エイデュリア)』、アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』、ストラボン『地理誌』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、パウサニアス『ギリシア案内記』、ジョン・キーツ『エンディミオン』
アポロドーロスの形: アエトリオスとカリュケの子で、テッサリアからアイオリス人を率いてエリスを建てた。ゼウスの子とする説もある。並外れた美しさに月(セレネ)が恋し、ゼウスが望むものを選ばせると、不死で年を取らないまま永遠に眠ることを選んだ。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ヘレニズム期の詩では、エンデュミオンの眠る場所は小アジアのカリア地方、ラトモス山の洞窟になる。アポロニオス『アルゴナウティカ』では、月の女神が「ラトモスの洞窟へさまよって行き、美しいエンデュミオンに焦がれるのは私ひとりではない」と、メデイアの恋を見てつぶやく。テオクリトスも、月が牛飼いのエンデュミオンを愛し、オリュンポスから降りて彼のそばで眠った、と歌う。
テオクリトス『牧歌(エイデュリア)』 前3世紀前半、アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』 前3世紀
エリスではエンデュミオンは王家の祖として扱われた。パウサニアスによれば、月が彼とのあいだに50人の娘を産んだとも言われるが、人間の妻をめとってパイオン、エペイオス、アイトロスと娘エウリュキュダをもうけた、という話のほうがもっともらしい。彼は王位を懸けて息子たちをオリュンピアで競走させ、エペイオスが勝った。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
墓は二つの土地が名乗った。エリスの人々はオリュンピアの競走路の出発点のそばにエンデュミオンの墓を示し、ミレトス近くのヘラクレイアの人々は、彼がラトモス山に退いたとしてそこに祠を持っていた。ストラボンも、ラトモス山のそばの洞窟にエンデュミオンの墓がある、と記している。
ストラボン『地理誌』 1世紀初頭、パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
イギリスの詩人キーツは1818年に4巻の長詩『エンディミオン』を出した。羊飼いの王子が夢で見た月の女神を探して地上・地下・海底をさまよう話に作り替えられ、冒頭の一行「美しいものは永遠の喜び(A thing of beauty is a joy for ever)」は英語の成句として広く引かれる。
ジョン・キーツ『エンディミオン』 1818年刊
パウサニアスによれば、エンデュミオンは王位を懸けて息子たちをオリュンピアで競走させ、エペイオスが勝って王位を得た。負けたパイオンは悔しさのあまりできるだけ遠くへ去り、アクシオス川の彼方の地が彼にちなんでパイオニアと呼ばれた。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
ホメロスとヘシオドスの『神統記』には、エンデュミオンの名は出てこない。最も古い言及はヘシオドスに帰される『女たちのカタログ』の断片で、アエトリオスとカリュケの子エンデュミオンが、ゼウスから「死ぬときを自分で決める」特権を与えられたという。この断片はアポロニオス『アルゴナウティカ』への古い注釈に引用されて残った。
ヘシオドス(に帰される)『女たちのカタログ(エーホイアイ)断片』 前6世紀頃