現代解釈: クリストファー・ノーラン監督の映画『オデュッセイア』(2026年)でジョン・レグイザモが演じる。
クリストファー・ノーラン監督『映画『オデュッセイア』』 2026年7月17日公開

Εὔμαιος人間
豚飼いエウマイオス。ヤン・スティカの作。 『エウマイオス、豚飼いの頭』 ヤン・スティカ 1925年以前Public domain
2026年公開のクリストファー・ノーラン監督の映画『オデュッセイア』で、ジョン・レグイザモが演じた役がある。主人公の家に仕える豚飼い、エウマイオスだ。
では、この豚飼いが原作の『オデュッセイア』でどんな役を担っているのか、見ていこう。
20年ぶりにイタケへ帰り着いた英雄オデュッセウスは、女神アテナの手でみすぼらしい老人の姿に変えられた。屋敷には、妻に言い寄る求婚者たちが居座っている。オデュッセウスがまず向かったのは、町はずれにある豚飼いの小屋だった。
豚飼いのエウマイオスは、見知らぬ乞食を追い返さなかった。客人も物乞いも、みなゼウスのもとから来るのだから。そう言って、自分の豚を屠ってもてなした。そして食事のあいだ、行方の知れない主人のことを嘆き、主人の財産を食いつぶす求婚者たちを憎んで語った。目の前の乞食がその主人だとは、まだ知らない。
夜になると、エウマイオスは自分の身の上を語る。自分は生まれながらの奴隷ではなかった。遠い島の王の息子として生まれたのだ、と。父の館には、異国から来た女奴隷がいて、幼い彼の乳母をしていた。そこへ商いの船がやって来る。女は船乗りたちと示し合わせ、故郷へ帰してもらう代わりに、館の杯と、主人の幼い息子を持ち出した。船が出て7日目、女は女神アルテミスの矢に打たれて死んだ。残された少年は、流れ着いたイタケで、オデュッセウスの父に買い取られた。
幼い彼を育てたのは、オデュッセウスの母だった。自分の末娘と一緒に、実の子とほとんど変わらず大事にしてくれた、とエウマイオスは懐かしむ。その母が、息子を待ちきれずに嘆きの中で死んだことも、彼は乞食姿の主人に語って聞かせた。
やがて、父を探す旅から戻ったオデュッセウスの息子テレマコスも、この小屋にやって来る。父と息子が20年ぶりに再会したのは、エウマイオスが町へ使いに出ているあいだのことだった。
求婚者たちとの決着が近づくと、オデュッセウスは豚飼いと牛飼いの二人を呼び、膝の古傷を見せて正体を明かす。二人は泣いて主人に抱きついた。求婚者たちとの戦いでは、エウマイオスは武器を取って主人の側で戦った。
『オデュッセイア』は、この豚飼いのことを書くとき、ときどき「豚飼いよ、おまえは」と本人に呼びかける形をとる。登場人物の中で、そう書かれるのは彼だけだ。
この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』、クリストファー・ノーラン監督『映画『オデュッセイア』』
現代解釈: クリストファー・ノーラン監督の映画『オデュッセイア』(2026年)でジョン・レグイザモが演じる。
クリストファー・ノーラン監督『映画『オデュッセイア』』 2026年7月17日公開
見知らぬ乞食に「客人はみなゼウスから来る」と言って自分の豚を屠ってもてなす。求婚者たちの無礼な饗宴と対比される、作中の理想的な歓待の場面。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
自らの身の上を語る。シュリエ島の王クテシオスの子として生まれたが、フェニキア人の女奴隷に連れ出されて商人に売られ、ラエルテスに買われた。『オデュッセイア』で奴隷が自分の過去を長く語る唯一の場面。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
地の文で「エウマイオスよ、おまえは答えて言った(τὸν δ᾽ ἀπαμειβόμενος προσέφης, Εὔμαιε συβῶτα)」と、語り手が登場人物に直接呼びかける形が繰り返し使われる。『オデュッセイア』でこの呼格の語りを向けられるのはエウマイオスだけで、『イリアス』ではパトロクロスやメネラオスに同じ形が使われる。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
求婚者殺しの直前、牛飼いピロイティオスとともに傷跡を見せられて主人と知り、武器を取る。忠実な下僕が報われる場面として、不忠な侍女たちの処刑(22.457-473)と対になっている。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
エウマイオスは、シュリエ島の王の子だった。館にいたフェニキア人の女奴隷(乳母)が、故郷へ帰してもらう約束で商人たちと通じ、杯と幼い彼を連れて船に乗った。7日目に女はアルテミスの矢に打たれて死に、少年はイタケでラエルテスに買われた。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃