かつて猟犬として名を馳せたが、主人の不在のあいだ誰にも顧みられず、門の前の騾馬と牛の糞の山に寝そべり、虱にたかられていた。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃

Ἄργος人間
乞食の姿で帰ったオデュッセウスに、老犬アルゴスが気づく場面(連作版画「オデュッセウスの事績」の一枚)。 『犬のアルゴスに気づかれるオデュッセウス』 1632〜1633年 アムステルダム国立美術館CC0
20年ぶりに故郷へ帰った英雄を、誰にも教えられずに最初に見分けたのは、妻でも乳母でもなかった。一匹の老いた犬だった。
では、『オデュッセイア』に出てくるこの犬の話を、見ていこう。
犬の名はアルゴス。英雄オデュッセウスが、トロイア戦争に出かける前に自分で育てた猟犬だった。けれども主人は、この犬が一人前になるのを楽しむ間もなく、戦へ旅立ってしまった。
主人がいたころ、若者たちはこの犬を連れて、野山の山羊や鹿や兎を狩りに出かけた。深い森で見つけた獲物は一匹も逃がさず、においをたどる鼻も鋭かった。けれども主人がいなくなると、世話をする者もいなくなった。やがて犬は、屋敷の門の前に積まれた、ラバや牛の糞の山の上に寝そべるようになる。体は虱だらけだった。
20年目、オデュッセウスは乞食の老人に姿を変えて、ようやく屋敷の門の前まで戻ってきた。一緒に歩いてきた忠実な豚飼いでさえ、それが主人だとは気づいていない。
そのとき、糞の山に寝ていた犬が、頭を上げ、耳を立てた。主人がすぐそばに立っていると気づいたのだ。犬は尾を振り、両耳を伏せた。けれども、主人のもとへ寄っていく力は、もう残っていなかった。
オデュッセウスは、豚飼いに気づかれないよう顔を背け、そっと涙をぬぐった。そして何気ないふりをして尋ねる。姿のいい犬なのに、なぜこんなところに寝ているのか。足も速いのか、それとも見かけだけの座敷犬か。
豚飼いは答えた。これは遠い異国で死んだ方の犬です。あの方が出征したころのこの犬をご覧になれば、その速さと強さに驚かれたでしょう。いまは主人を失い、女たちも気にかけてくれません。
豚飼いが屋敷の中へ入っていったあと、犬のもとに黒い死の運命が訪れた。20年目にオデュッセウスを見た、そのすぐあとに。
乳母が古傷で、妻が寝台の秘密で、夫を見分けるのは、この先のことである。
この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』
かつて猟犬として名を馳せたが、主人の不在のあいだ誰にも顧みられず、門の前の騾馬と牛の糞の山に寝そべり、虱にたかられていた。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
乞食姿のオデュッセウスをただ一匹で見分け、耳を伏せ尾を振るが、立ち上がって近づく力はなかった。オデュッセウスはエウマイオスに気づかれぬよう顔を背けて涙を拭う。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
20年目にオデュッセウスを見たその瞬間、黒い死の運命が捉えた。『オデュッセイア』で最初に主人を見破るのはこの犬であり、人間による認知はいずれもその後に来る。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
ホメロスはこの犬の由来や血統を語らず、名前と最期だけを短く記す。エピソード全体が40行に満たない。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃