出典 · 古典期(悲劇・歴史)
歴史
ヘロドトス · 前430年頃 · Histories
2.112-120 でヘレネはエジプトに留まりトロイアには居なかったとする説を記す。
日本語訳: 松平千秋訳、岩波文庫、1971-72 · 原文・参考リンク ↗
この出典が語っていること
アケロン
- ヘロドトスによれば、コリントスの独裁者ペリアンドロスは、友人の預け物のありかを尋ねるため、テスプロティアのアケロン川の死者の神託所に使いを送った。亡き妻メリッサの霊は、一緒に埋められた衣が焼かれなかったので寒くて裸だと言って答えず、夫にしか分からない証拠を告げた。ペリアンドロスはコリントスの女たちを着飾らせてヘラの神殿に集め、衣をはぎ取って穴で焼き、妻に祈った。すると霊は預け物の場所を教えた。 (5.92η(英訳では 5.92G))
アクロポリス
- ペルシャ軍が聖域を焼いたとき、アテナとポセイドンの争いの証しとされたオリーブの木も焼けたが、翌日に聖域へ上がったアテネ人は、焼け株から一腕ほどの芽が伸びているのを見た。 (8.55)
アドラストス
- 遺体の返還: テーバイの新王クレオンがアルゴス勢の埋葬を禁じると、アドラストスはアテナイに逃れて「慈悲」の祭壇に嘆願し、テセウスが軍を出してテーバイから遺体を取り戻した。エウリピデス『嘆願する女たち』はこれを劇にし、ヘロドトスはプラタイアの戦い(前479年)の前に、アテナイ人が自分たちの功績としてこの出来事を持ち出し、遺体をエレウシスに葬ったと語った、と伝える。 (3.7.1 /『嘆願する女たち』/ 9.27.3)
- シキュオンの英雄祭祀: アドラストスは母方の祖父ポリュボスからシキュオンの王位を継いだとされ、その市場に英雄廟があった。ヘロドトスによれば、シキュオン人は彼の苦難を悲劇風の合唱で讃えていたが、前6世紀の独裁者クレイステネスはアルゴスと戦っていたため、合唱をディオニュソスに戻し、残りの祭祀をアドラストスの宿敵メラニッポスに移した。デルポイに追放の可否を尋ねると、巫女は「アドラストスこそシキュオンの王、お前は石投げにすぎぬ」と答えたという。 (ヘロドトス 5.67.1-5 / パウサニアス 2.6.6)
アイギス
- ヘロドトスは、アテナ像の衣とアイギスはリビュアの女たちの装いを写したもので、リビュアの女の房つきの山羊革の衣「アイゲア」の名が「アイギス」になったとする。違いは房が蛇ではなく革紐であることだけだという。 (4.189.1-2)
アゲノル
- 探しあぐねた息子たちは帰郷をあきらめて各地に住みつく。アポロドーロスでは、ポイニクスはフェニキアに、キリクスはフェニキア近くのピュラモス川のほとりに住んでその地をキリキアと名づけ、カドモスとテレパッサはトラキアに、タソスはトラキア沖の島にタソスの町を建てた。ヘロドトスも、キリキア人はもとヒュパカイオイと呼ばれ、フェニキア人でアゲノルの子キリクスから名を取ったと書く。ヒュギヌスでは、ポイニクスはアフリカへ渡ってとどまり、そのためアフリカの人々がポエニ(フェニキア人)と呼ばれるという。 (アポロドーロス3.1.1、ヘロドトス7.91、ヒュギヌス178)
- パウサニアスによれば、タソス島の人々はフェニキアのテュロスから、アゲノルの子タソスとともにエウロペを探して船出した者たちの子孫で、オリュンピアに青銅のヘラクレス像を奉納した。ヘロドトスは、エウロペを探して航海したフェニキア人がタソスに住みつき、ヘラクレスの神殿を建てたと記す。また、カドモスは探索の途中でテラ島に立ち寄り、身内のメンブリアロスとフェニキア人たちを残したという。 (パウサニアス5.25.12、ヘロドトス2.44.4、4.147.4)
- ヘロドトスは、ヨーロッパという地名を誰がどこから付けたのか分からないとし、テュロスのエウロペから取ったのかもしれないが、彼女はアジアの生まれで、フェニキアからクレタ、さらにリュキアへ行っただけで、ギリシャ人がヨーロッパと呼ぶ土地には来ていない、と疑う。ヘロドトスは歴史の冒頭で、エウロペを「テュロスの王の娘」として、ギリシャ人(おそらくクレタ人)にさらわれたとするペルシア人の話も伝える。 (4.45.4-5、1.2.1)
- 関係: parent → cadmus (アポロドーロス3.1.1、ヘロドトス4.147、『変身物語』3.8「アゲノルの子」、ヒュギヌス6)
アマゾン族
- ヘロドトスは、スキュタイ人はアマゾンを「オイオルパタ」(男殺し)と呼ぶと記し、テルモドンの戦いで捕虜になったアマゾンがスキュタイ人の若者と結ばれてサウロマタイ人の祖になったという話を伝える。 (4.110-117)
アナンケ
- ヘロドトスによれば、サラミスの海戦の後、テミストクレスはアンドロス島に金を要求し、アテナイは説得と必然という二柱の偉大な神を伴って来た、と告げた。アンドロスの人々は、自分たちの島には貧乏と無力という役に立たない二柱の神が居ついているので金は出せない、アテナイの力も自分たちの無力より強くはなれない、と答えた。 (8.111)
アンドロメダ
- ギリシャに来る前に生まれた長子ペルセスはケペウスのもとに残され、ペルシア人の祖とされる。ミュケナイではアルカイオス、ステネロス、エレクトリュオンらを生み、この系統からアルクメネ、そしてヘラクレスが出る。 (アポロドーロス 2.4.5、ヘロドトス 7.61.3)
- 関係: spouse → perseus (アポロドーロス 2.4.3、ヘロドトス 7.61.3、オウィディウス『変身物語』4.735-739)
アテナイ
- ヘロドトスによれば、ペルシア軍がアクロポリスを焼いたとき、エレクテウスの社にあった争いの証のオリーブも焼けた。ところが翌日、クセルクセスの命で犠牲を捧げに登った(ペルシア軍に従っていた)アテナイ人は、焼けた株から1ペキュス(肘から指先ほど)の若枝が伸びているのを見た。 (8.55)
- ヘロドトスは住民の呼び名の変遷を、クラナオイ、ケクロピダイ、アテナイ人、イオニア人と並べる。アポロドーロスでは、もとアクテと呼ばれた土地を、ケクロプスが自分の名にちなんでケクロピアと呼んだ。 (ヘロドトス 8.44、アポロドーロス 3.14.1)
- 関係: owned_by → athena (アポロドーロス 3.14.1 十二神がアテナに土地を与えた。ヘロドトス 8.55)
アトランティス
- プラトンの王アトラスはポセイドンとクレイトの子で、ヘシオドスが語る、イアペトスの子で天を支える巨人アトラスとは別人である。大西洋(Atlantic)の名を、北アフリカのアトラス山にちなむ「アトラスの海」とする説明もある。 (『クリティアス』114a、『神統記』507-520、ヘロドトス1.202.4、etymonline「Atlantic」)
アトラス
- ヘロドトスは、北アフリカの内陸に細く円錐形で頂が雲に隠れる「アトラス」という山があり、土地の人は「天の柱」と呼ぶ、その周辺の住民はアトランテスと呼ばれる、と記す。神話の「天を支える者」と山の名が重なっている。 (4.184)
ボレアス
- ペルシア戦争で、アテナイ人は「婿に助けを求めよ」という神託に従い、ボレアスとオレイテュイアに犠牲を捧げて祈った。嵐がペルシアの船を壊したので、アテナイ人は帰国後イリソス川のほとりにボレアスの聖域を建てた。神話上の婚姻が、実際の祭祀の根拠になった例。 (7.189)
- ヘロドトスによれば、アテナイ人はエウボイアのカルキス沖で嵐が起こるのを見て、ボレアスとオレイテュイアに犠牲を捧げ、敵の艦隊を壊してくれと祈った。ペルシア側は少なくとも400隻を失ったと言われる。ヘロドトスは、それがボレアスのせいだったかは言えないとしつつ、アテナイ人は帰国後イリソス川のほとりにボレアスの聖域を建てたと記す。 (7.189-190)
- 関係: spouse → orithyia (ヘロドトス 7.189、『変身物語』6.711-713)
- 関係: child_in_law → erechtheus (7.189。アテナイ人はこの縁でボレアスを「婿」とみなした)
- 関係: visited → athens (イリソス川のほとりでオレイテュイアをさらう(『パイドロス』229b-c、アポロドーロス 3.15.2)。のちに同じ川のほとりに聖域が設けられる(ヘロドトス 7.189))
カドモス
- ヘロドトスは、カドモスとともに来たフェニキア人が、それまでギリシャ人の知らなかった文字をもたらしたと書く。自分でもテーバイのアポロン神殿で「カドモスの文字」の刻まれた鼎を見たと述べている。神話の英雄が、歴史家によって文字伝来の担い手として扱われている例。 (5.58.1-5.59.1)
ケクロプス
- ヘロドトスは、アテナイ人の呼び名の移り変わりを、ペラスゴイ人の時代の「クラナオイ」、ケクロプス王の時代の「ケクロピダイ」、エレクテウスの時代からの「アテナイ人」、クストスの子イオンが将軍になってからの「イオニア人」と並べる。 (8.44)
コルキス
- ヘロドトスが伝えるペルシャの物知りたちの説では、フェニキア人がアルゴスの王女イオを連れ去ったのに続いて、ギリシャ人が長い船でコルキスの町アイアとパシス川へ行き、王の娘メデイアを連れ去った。コルキスの王が償いと返還を求めると、ギリシャ人はイオのことで償いがなかった以上、償いはしないと答えた。 (1.1-2)
- ヘロドトスは、コルキス人はエジプト人の出だと自分の目で見て考え、両方の民に尋ねたところ、コルキス人のほうがエジプト人をよく覚えていたと書く。 (2.104)
デロス島
- ペルシャ軍が来るとデロスの人々はテノス島へ逃げたが、ペルシャの将軍ダティスは使者を送り、二柱の神が生まれた土地と住民には手を出さないと告げて、祭壇に300タラントンの乳香を焚いた。 (6.97)
- ダティスの軍が去ったあと、デロスは地震に揺れた。デロスの人々によれば、ヘロドトスの時代までに後にも先にもただ一度の地震で、ヘロドトスはこれを、その後の三代にギリシャを襲う災いの前触れとして神が送ったものと考えた。 (6.98)
デルポイ
- リュディア王クロイソスは各地の神託所を試し、100日目に王のしていることを当てたデルポイだけを本物と認めた(亀と子羊を青銅の鍋で煮ていた)。ペルシャ攻めを問うと「攻めれば大帝国を滅ぼす」と告げられて攻め、滅んだのは自国だった。ヘロドトスは、どちらの帝国かを問い直さなかった王の落ち度だとする。 (1.46-53、1.91.4)
エキドナ
- ヘロドトスが伝える黒海沿岸のギリシャ人の話では、ヘラクレスがゲリュオンの牛を連れてスキュティアに来たとき、森の洞窟で、上半身は女、下半身は蛇の「半ば乙女の蝮」に出会う。彼女とのあいだに三人の息子が生まれ、末っ子スキュテスがスキュタイ人の王家の祖になった。 (4.8-10)
- ヘロドトスの伝えでは、スキュティアで眠るあいだに馬を失ったヘラクレスが森の洞窟で半ば乙女・半ば蛇の女に出会い、女は交わらなければ馬を返さないと言った。三人の息子が生まれ、ヘラクレスは弓と帯を残して、弓を引き帯を締められた子をこの地に住まわせよと言った。 (4.8-10)
- 関係: lover → herakles (4.8-10 黒海沿岸のギリシャ人の伝え。名は出ず「半ば乙女の蝮(エキドナ)」と呼ばれる女)
エピゴノイのテーバイ攻め
- 失われた叙事詩『エピゴノイ』: ヘロドトスは、ヒュペルボレオイ(極北の民)について「ホメロスが『エピゴノイ』で語っている、本当にホメロスがこの詩を作ったのなら」と書き、この詩がホメロス作とされながら疑われていたことを伝える。詩そのものは失われた。 (4.32)
エレクテウス
- アクロポリスには「エレクテイオン」と呼ばれる建物があり、入口の中にはポセイドンの祭壇があって、神託に従ってエレクテウスにも犠牲を捧げる。建物の中には海水の井戸と、岩に残る三叉の矛の跡があり、ポセイドンが土地を争ったときの証とされた。ヘロドトスも「大地から生まれたエレクテウスの社」に、争いの証のオリーブと海水があると書く。 (パウサニアス 1.26.5、ヘロドトス 8.55)
- ヘロドトスによれば、アテナイ人が「アテナイ人」と呼ばれるようになったのはエレクテウスが王になってから。それ以前はケクロプスにちなんでケクロピダイと呼ばれていた。 (8.44)
- 関係: child → gaia (『イリアス』2.547-548「穀物を与える大地が産んだ」。ヘロドトス 8.55「大地から生まれたと言われるエレクテウス」。後代の系図ではパンディオンの子(アポロドーロス 3.14.8))
- 関係: parent → orithyia (アポロドーロス 3.15.1-2、ヘロドトス 7.189、アポロニオス 1.211-213)
- 関係: parent_in_law → boreas (ヘロドトス 7.189 アテナイ人はボレアスを「婿」と呼んだ。アポロドーロス 3.15.2)
エウロペ
- ヘロドトスは、ペルシャ人の言い分として、名も知れぬギリシャ人(おそらくクレタ人)がフェニキアのテュロスに上陸して王女エウロペをさらった、という合理化した話を載せる。イオをさらったフェニキア人への仕返し、という位置づけ。 (1.2.1)
- 大陸名ヨーロッパが王女エウロペから来たという説明に、ヘロドトス自身が首をかしげている。この女性はアジア生まれで、フェニキアからクレタ、クレタからリュキアへ行っただけで、ギリシャ人が今ヨーロッパと呼ぶ土地には来ていない、と。名前の由来も誰が付けたのかも分からない、とはっきり書いている。 (4.45.4-5)
- 関係: visited → crete (3.1.1 / Met. 3.1-2 / ヘロドトス 4.45.5)
ギガントマキア
- 戦場とされた「プレグラ」の場所は二つに分かれる。北ギリシャのパレネ半島とする伝え(ヘロドトスはパレネの旧名がプレグラだと書く)と、イタリアのクマエ近くの平野とする伝え。ディオドロスは、この平野がかつて火を噴いた丘(いまのウェスウィウス山)にちなんで「プレグライオン」と呼ばれたと書く。 (ヘロドトス 7.123.1。アポロドロス 1.6.1。ディオドロス 4.21.5-7, 5.71.4)
グリュプス
- ヘロドトスは、ヨーロッパの北に最も多くの金があり、一つ目の人々アリマスポイがグリュプスから金を盗むと言われる、と記す。ただし、目が一つで他は普通の人間と同じ民がいるという話は信じない、と断っている。 (3.116.1-2)
- 最古の典拠として名が挙がるのは、プロコンネソスのアリステアスの詩(現存しない)。ヘロドトスの要約では、イッセドネス人の向こうに一つ目のアリマスポイ、その向こうに金を守るグリュプス、さらにその先にヒュペルボレオイ(北風のかなたの民)が住む。 (4.13.1-2)
- 一つ目の民とグリュプスの話は、イッセドネス人からスキタイ人を経てギリシャ人に伝わった、とヘロドトスは言う。アリマスポイの名はスキタイ語の arima(一)と spou(目)から、という説明を添える。 (4.27)
- ヘロドトスは、サモス島の人々が交易の利益の10分の1(6タラントン)で、縁のまわりにグリュプスの頭が突き出した青銅の大釜を作り、ヘラの神殿に奉納したと記す。グリュプスが飾りの意匠として好まれた証言。 (4.152.4)
ヘレネ
- ヘロドトスは、エジプトの神官から聞いた話として、パリスとヘレネはエジプトに流れ着き、王プロテウスがヘレネを留め置いてパリスだけを追い返した、と伝える。トロイアにヘレネはおらず、もしいたなら十年も戦う前に返したはずだ、というのがヘロドトスの理屈である。 (2.112-120。とくに2.115(プロテウスがヘレネと財宝を留め置き、パリスに3日以内の退去を命じる)、2.118(トロイア人は「ヘレネも財宝もエジプトにある」と答え続けたが信じられず攻められた)、2.120(ヘレネがイリオスにいたならプリアモスもヘクトルも返させたはずだ、というヘロドトス自身の推論)。Perseus 本文で確認)
ヘレスポントス
- クセルクセスがアビュドスから対岸へ架けさせた橋が嵐で壊れると、王はヘレスポントスを三百回むちで打たせ、足かせを海に投げ込ませた。打つ者には「苦い水よ、主人はお前に何の悪いこともしていないのに、お前は悪さをしたので罰する」と言わせ、橋の監督たちは首をはねられた。 (7.34-35)
イオ
- ヘロドトスは『歴史』の冒頭で、神話を合理化した別の話を紹介する。ペルシャ人の言い分では、アルゴスに交易に来たフェニキア人が、王イナコスの娘イオをさらってエジプトへ連れ去った。これが東西の争いの始まりで、その仕返しがエウロペの誘拐、さらにメデイア、ヘレネと続く、という筋立て。 (1.1.3-1.2.3)
ラビュリントス
- 「ラビュリントス」は古代にはクレタだけの名ではなかった。ヘロドトスはエジプトのモエリス湖近くの巨大な建造物をラビュリントスと呼んで「言葉では言い表せない」と驚き、大プリニウスは、ダイダロスがこのエジプトのものを手本に、その百分の一だけを真似てクレタの迷宮を造ったと書いて、エジプト・クレタ・レムノス・イタリアの4つを挙げる。 (ヘロドトス 2.148、プリニウス『博物誌』36.84-85, 36.90)
ロートパゴイ(蓮を食う人々)
- ロートスが具体的にどの植物かはホメロスには書かれておらず、原文は「花の食べ物(ἄνθινον εἶδαρ)」「蜜のように甘い実」とだけ記す。実在の植物として描いたのはヘロドトスが早く、リビュアのロートパゴイの食べる実をナツメヤシの実のように甘く、酒も造ると説明する。ポリュビオスはさらに詳しく木と実の姿を述べ、メニンクス島(ジェルバ島)に彼らを置く。現代の植物学でナツメ属 Ziziphus lotus に当てるのは後世の同定である。 (『オデュッセイア』9.84「ロートパゴイの地、花の食べ物を常食とする人々」、9.94「蜜のように甘いロートスの実」を本文で確認。ヘロドトス 4.177(ロートスの実はマスティックの実ほどの大きさで、ナツメヤシの実のように甘く、酒も造る)。ポリュビオス 12.2 は未確認。古代の著者はいずれも近代の学名を与えてはいない)
マルシュアス
- 最も古い記録の一つは前5世紀のヘロドトス。ペルシャ王クセルクセスの行軍を記す中で、プリュギアの町ケライナイの市場から湧く川のそばに「シレノスのマルシュアスの皮」が吊るしてあり、プリュギア人の話ではアポロンが剥いで吊るしたのだと書き留めている。神話の話が、実際に見せられる「皮」とともに土地に根づいていた。 (7.26.3)
- 関係: killed_by → apollo (アポロドーロス 1.4.2 高い松の木に吊るして皮を剥ぐ / ヘロドトス 7.26.3 / Met. 6.382-391)
ミダス
- ヘロドトスは「ゴルディアスの子ミダス」を、デルポイに奉納をした最初の異国の王として挙げ、その玉座がデルポイに置かれていると書く。またマケドニアには「ミダスの園」があり、そこでシレノスが捕らえられたという土地の話も伝える。歴史家にとってミダスは、神話の人物である前に実在の王だった。 (1.14.2-3 / 8.138.2-3)
ミノス
- ダイダロスを追ったミノスは、巻貝に糸を通せる者を探すという謎かけで居場所を突き止め、シチリアのカミコスの王コカロスに引き渡しを求めた。しかし入浴の後、コカロスの娘たちに殺された(熱湯を浴びせられたとも)。ヘロドトスも、ミノスがダイダロスを探しにシカニア(シチリア)へ行き、非業の死を遂げたと伝える。 (アポロドーロス摘要 1.14-15、ヘロドトス 7.170.1)
オリュンポス山
- テッサリアとマケドニアの境にある実在の山塊で、最高峰ミティカスは2,917mとギリシャの最高峰。「オリュンポス」と呼ばれた山は古代に各地にあったが、ヘロドトスはドーリス人の故地を「オッサとオリュンポスの下のヒスティアイオティス」と書き、テッサリアの山を指している。ホメロス以来、この山がゼウスをはじめとする神々の住む所と信じられた。 (ヘロドトス 1.56(ドーリス族がオッサとオリュンポスの麓のヒスティアイオティスに住んだ)。山の位置・標高と、各地の「オリュンポス」の存在については OCD『Olympus』の項)
オレイテュイア
- ペルシア戦争のとき、アテナイ人は「婿に助けを求めよ」という神託を受け、エレクテウスの娘オレイテュイアの夫であるボレアスに祈った。嵐でペルシアの船が壊れると、アテナイ人はイリソス川のほとりにボレアスの聖域を設けた。 (7.189)
- 関係: child → erechtheus (アポロドーロス 3.15.1、ヘロドトス 7.189、アポロニオス 1.211-213)
- 関係: spouse → boreas (ヘロドトス 7.189、『変身物語』6.711-713)
パン
- ヘロドトスは「ギリシャ人によればパンはペネロペとヘルメスの子」だと書き、トロイア戦争より後、自分の時代から約800年前に生まれた若い神だと計算する。一方でエジプト人はパンを最も古い八柱の神の一人とする、と対比する。 (2.145-146)
- ペルシャ軍の上陸を知らせにスパルタへ走った伝令ピリッピデスは、アルカディアの山中でパンに呼び止められ、「アテナイ人はなぜ好意的な私を祀らないのか」と言われたと報告した。アテナイ人はマラトンの勝利のあとアクロポリスの下にパンの聖域を設け、毎年供犠と松明競走で祀るようになった。 (6.105-106)
- 関係: child → hermes (『パン讃歌』(19)1, 28-40。ヘロドトス 2.145)
- 関係: child → penelope (ヘロドトス 2.145「ギリシャ人によればパンはペネロペとヘルメスの子」。プルタルコス 17(419e)でもティベリウスの学者たちがそう推定する)
ペルセウス
- ヘロドトスは、ペルセウスとアンドロメダの子ペルセスがケペウスのもとに残され、ペルシア人の名はこのペルセスに由来すると伝える。アポロドーロスも同じ話を「言われている」として載せる。 (ヘロドトス 7.61.3、アポロドーロス 2.4.5)
- 関係: spouse → andromeda (アポロドーロス 2.4.3、ヘロドトス 7.61.3、オウィディウス『変身物語』4.735-739)
フェニックス
- ヘロドトスはエジプトのヘリオポリスで話を聞いた。鳥は500年に一度、父が死んだときだけアラビアから来て、没薬で作った卵に父の亡骸を納め、太陽の神殿に葬るという。ヘロドトス自身は「私には信じがたい」と書く。火や再生の話は無い。 (2.73.1-4)
- ヘロドトスは実物を見ておらず、絵で見ただけだという。絵のとおりなら羽は一部が金色、一部が赤で、形も大きさもワシにいちばん近い。 (2.73.1-2)
- 現代日本の辞書は、フェニックスを「エジプト神話の霊鳥」とし、500年に一度みずから火中に入って焼かれ、灰から若い姿で再生すると説明する。古代の書き物では、この形がそろうのは後代(クラウディアヌス)で、ヘロドトスやオウィディウスには火が無い。 (デジタル大辞泉「フェニックス」(2026年9月閲覧))
プロテシラオス
- ヘロドトスはケルソネソスのエライウスにプロテシラオスの聖域と神託所があったと記す。神話上の一行の人物が、実在の祭祀の対象になっていた。 (7.33, 9.116-120)
- ヘロドトスによれば、エライウスのプロテシラオスの聖域から宝を奪い、聖域を耕し女を連れ込んだペルシアの総督アルタユクテスが捕らえられたとき、見張りが焼いていた干し魚が火の上で跳ねた。アルタユクテスは、死んで干からびたプロテシラオスが神から力を得て仇を返そうとしているしるしだと言った。 (9.116-120)
プロテウス
- ヘロドトスは、エジプトの神官から聞いた話として、プロテウスをメンピスの人間の王とする。パリスとヘレネの船が嵐でエジプトに流れ着くと、プロテウスはパリスの不義を咎めてヘレネと財宝を取り上げ、パリスだけを追い出した。トロイア戦争のあいだヘレネはエジプトにいて、戦後メネラオスが迎えに来たという。 (2.112-120)
- 関係: visited_by → helen (エウリピデス『ヘレネ』44-48 ヘルメスがヘレネをプロテウスの館に置く。ヘロドトス 2.112-120 ではエジプト王プロテウスのもとにヘレネが留まる)
サテュロス
- ヘロドトスは、プリュギアのケライナイの広場に「シレノスのマルシュアスの皮」が吊るされ、アポロンにはがされたものだと伝える。オウィディウスはマルシュアスをサテュロスと呼び、兄弟のサテュロスたちがその死を嘆いたとする。 (ヘロドトス7.26.3、『変身物語』6.382-400)
- 関係: has_member → marsyas (『変身物語』6.383 サテュロス、ヘロドトス7.26.3「シレノスのマルシュアス」)
スパルタ
- ヘロドトスは、スパルタ近郊テラプネのヘレネの聖域で、醜い赤子が美しくなったという話を記す。神話の人物が実際の祭祀の対象になっていた例。 (6.61)
スフィンクス
- エジプトの「スフィンクス」はギリシャ語の名を借りた呼び名で、姿は別物。ヘロドトスはサイスの神殿に並ぶエジプトの像を「男の頭のスフィンクス(アンドロスピンクス)」と呼び分けている。語源辞典も、エジプトの形はふつう男性で翼がない、とギリシャの翼ある雌の怪物と区別している。ギザの大スフィンクスを英語で Sphinx と呼ぶ例は1610年代から。 (ヘロドトス 2.175.1 / etymonline の sphinx の項)
ステュクス
- ステュクスは実在の場所とも結びついていた。ヘロドトスは、スパルタ王クレオメネスがアルカディア人をノナクリスの町に集め、ステュクスの水にかけて誓わせようとしたと書き、その水は崖から池に滴る細い流れだと説明する。パウサニアスもノナクリス近くの高い崖を滴る水を訪ねている。 (ヘロドトス 6.74。パウサニアス 8.17.6-8.18.2)
テッサリア
- ヘロドトスによれば、テッサリアは昔、東をペリオンとオッサ、北をオリュンポス、西をピンドス、南をオトリュスの山々に囲まれた湖だった。ペネイオスなど五つの川が流れこみ、出口がなかったので全体が海のようだったという。テッサリア人はペネイオスが流れ出る谷をポセイドンがあけたと言い、ヘロドトスは、地震による裂け目をポセイドンのしわざと信じる人ならそう考えるのも当然だとし、自分には地震が山を押し広げたのだと見えたと書く。 (7.129)
- 関係: visited_by → poseidon (7.129)
三叉の槍(トライデント)
- アポロドーロスでは、ポセイドンはアクロポリスの真ん中を三叉の槍で打って「エレクテイスの海」を湧かせたが、ケクロプスの証言によりオリーブを植えたアテナに土地が与えられ、怒ってトリアシオン平野を水浸しにした。パウサニアスは、エレクテイオンの中に南風で波音を立てる海水の水槽があり、岩に三叉の槍の跡があると記す。ヘロドトスも、アテナとポセイドンの争いのしるしとしてオリーブの木と塩水の池を挙げる。 (アポロドーロス3.14.1、パウサニアス1.26.5、ヘロドトス8.55)
トロイア戦争
- 史実性は決着していない。ヘロドトスは戦争を実際にあった出来事として論じ、エジプトの神官の話としてヘレネはトロイアではなくエジプトにいたという説まで紹介する。古代の側にも「本当にあったのか、どう伝わったのか」という問いがあったことが分かる。 (2.112-120)
オリュンポス十二神
- アテナイのアゴラには十二の神々の祭壇があり、トゥキュディデスによれば、僭主ヒッピアスの子ペイシストラトスがアルコン在任中に奉納した。ヘロドトスは、プラタイアの人々がこの祭壇に嘆願者として座ったと伝える。 (トゥキュディデス6.54.6-7、ヘロドトス6.108.4)
- ヘロドトスは、エジプト人が最初に十二の神々の名を用い、ギリシャ人がそれを借りたと聞いたと書く。エジプトでは8神から12神に代わったとされ、ヘラクレスはその十二神の一人、ディオニュソスは十二神の後の世代だという。 (2.4.2、2.43.4、2.145.1)
- ヘロドトスが伝えるエジプトの十二の神々にはヘラクレスが含まれる。十二という数は一定でも、誰を数えるかは時代や土地で異なっていた。 (2.43.4、2.145.1)