パウサニアスによれば、コリントスのアクロコリントスの山を登る途中、ヘリオスの祭壇の先に、必然の女神(アナンケ)と力の女神(ビア)の聖域があり、中へ入らないのがならわしだった。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
Ἀνάγκη神
何年か前、ノートルダム大聖堂を歩き回っていた作者は、塔の暗い片隅の壁に、人の手で刻まれた一語を見つけた。年月で黒ずみ、石に深く彫りこまれたギリシャ文字の大文字。その言葉が持つ宿命めいた暗い意味に、作者は強く心を打たれた。
フランスの作家ヴィクトル・ユゴーは、1831年の『ノートルダム・ド・パリ』の序文をこう書き始める。刻まれていたのは「アナンケ」。壁はのちに塗り直されたか削られたかして、文字はもう残っていない。この本は、この一語の上に築かれている、とユゴーは言う。物語の中でも、思いつめた大聖堂の司教補佐が、同じ言葉を自分の部屋の壁に刻む。それを見た弟は、意味は「運命」だと言ってのけた。
アナンケは、どうしても逃れられない力、「必然」を女神にした名だ。ギリシャの人々がこの目に見えない女神をどう語ったのか、たどってみよう。

この女神は、ヘシオドスの『神統記』の神々の系譜には登場しない。そのかわり、悲劇や哲学の中で、神々よりも強い力として姿を現す。アイスキュロスの悲劇『縛られたプロメテウス』では、人間に火を与えた罰で岩に縛りつけられたプロメテウスが言う。必然の力には、誰も逆らえない。技は、必然にはるかに及ばない。では、必然の舵を取るのは誰なのか、と問われると、プロメテウスは答える。三人の運命の女神と、忘れることのない復讐の女神たちだ。ゼウスでさえ、定められたことからは逃れられない。
詩人シモニデスも、必然には神々でさえ戦いを挑まない、と書いた。哲学者プラトンが、ソクラテスの口を借りてこの一句を引いている。
エウリピデスの『アルケスティス』では、夫の身代わりに死んだ王妃を悼んで、合唱隊が歌う。私は詩の翼で高く舞い、多くの思索に手を伸ばしてきた。けれども、必然より強いものは見つからなかった。伝説の歌い手オルペウスが書き残した呪文にも、アポロンが医術の神の子らに授けた薬草にも、それを癒やす力はない。この女神だけは、祭壇も像も持たず、いけにえにも耳を貸さない。ゼウスが定めたことも、この女神の助けで成し遂げられるのだ、と。
とはいえ、この女神を祀る場所がまったくなかったわけではない。旅行家パウサニアスは、コリントスの町を見下ろす山の上に、必然の女神と力の女神の聖域があり、中へ入らないのがならわしだった、と書き残している。
女神の名は、人間どうしの駆け引きにも持ち出された。歴史家ヘロドトスによれば、ペルシア戦争のさなか、アテナイの将軍テミストクレスはある島の人々に金を出せと迫り、アテナイは二柱の偉大な神、説得の女神と必然の女神を連れて来たのだから、と脅した。島の人々は答えた。私たちの島にも、居ついて離れない役立たずの神が二柱いる。貧乏と無力だ。この神々に取りつかれている以上、金は出せない。
アナンケをもっとも壮大に描いたのは、プラトンの『国家』の最後に置かれた物語だ。戦場で死んだ兵士が、火葬の薪の上で生き返り、死者の国で見てきたことを語る。天と地を貫く光の柱の端から、必然の女神の紡錘が垂れ下がっていて、天のすべての軌道がその軸のまわりを回っている。紡錘は女神の膝の上で回り、輪のひとつひとつにセイレンが立って一つの音を歌い、八つの声がひとつの調べになる。そのまわりには、女神の娘である三人の運命の女神が、白い衣を着て玉座に座り、過去と現在と未来を歌う。次の人生を選んだ魂は、必然の女神の玉座の下をくぐり、それから忘却の野へ向かい、そこを流れる川の水を飲んで、すべてを忘れて生まれ変わっていく。
プラトンは『ティマイオス』で、この世界そのものが、必然と理性とが混ざり合って生まれたとも書いている。理性が必然を説き伏せ、できるかぎりよい方向へ導いたことで、宇宙は形づくられたのだという。

祭壇も像も持たないと歌われた女神の名は、はるか後の時代、パリの大聖堂の壁に刻まれ、ひとつの小説を生んだ。
この物語の出典: ヘシオドス『神統記』、アイスキュロス(伝)『縛られたプロメテウス』、エウリピデス『アルケスティス』、ヘロドトス『歴史』、プラトン『プロタゴラス』、プラトン『国家』、プラトン『ティマイオス』、パウサニアス『ギリシア案内記』、ヴィクトル・ユゴー『ノートルダム・ド・パリ』
パウサニアスによれば、コリントスのアクロコリントスの山を登る途中、ヘリオスの祭壇の先に、必然の女神(アナンケ)と力の女神(ビア)の聖域があり、中へ入らないのがならわしだった。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
ユゴー『ノートルダム・ド・パリ』の序文(1831年3月付)で、作者は数年前にノートルダム大聖堂の塔の暗い片隅で、壁に手で刻まれたギリシャ語 ΑΝΑΓΚΗ を見つけたと書く。壁はその後塗られるか削られるかして文字は消えたが、この本はこの一語の上に築かれている、という。第7編第4章「ΑΝΑΓΚΗ」では、司教補佐クロード・フロロがこの語を壁に刻み、弟ジャンがそれを「運命(FATE)」と説明する。
ヴィクトル・ユゴー『ノートルダム・ド・パリ』 1831年刊
ヘシオドス『神統記』の神々の系譜にアナンケは出てこない。言葉としては「強い必然のもとで」アトラスが天を支える(517)、プロメテウスが縛られる(615)のように、逃れられない強制を表す普通の語として使われる。『イリアス』『オデュッセイア』でも同様。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃、ヘシオドス『神統記』 前700年頃
アイスキュロス『縛られたプロメテウス』で、プロメテウスは、必然の力は打ち負かせないと言い、「技は必然にはるかに劣る」と語る。必然の舵を取るのは誰かと問われると、三つの姿の運命の女神たちと、忘れることのない復讐の女神たちだと答え、ゼウスでさえ定められたことからは逃れられないと言う。
アイスキュロス(伝)『縛られたプロメテウス』 前5世紀
プラトン『プロタゴラス』で、ソクラテスは詩人シモニデスの歌を論じ、「必然には神々でさえ戦わない」という一句を引く。
プラトン『プロタゴラス』 前4世紀前半
エウリピデス『アルケスティス』の合唱隊は、詩と思索をきわめても必然より強いものは見つからず、オルペウスのトラキアの書き板にも、アポロンがアスクレピオスの子らに与えた薬草にも癒やす力はない、と歌う。この女神だけは祭壇も像もなく、いけにえも顧みない。ゼウスが定めることも彼女の助けで成就し、カリュベス人の鉄さえ力でねじ伏せる、とも。
エウリピデス『アルケスティス』 前438年上演
ヘロドトスによれば、サラミスの海戦の後、テミストクレスはアンドロス島に金を要求し、アテナイは説得と必然という二柱の偉大な神を伴って来た、と告げた。アンドロスの人々は、自分たちの島には貧乏と無力という役に立たない二柱の神が居ついているので金は出せない、アテナイの力も自分たちの無力より強くはなれない、と答えた。
ヘロドトス『歴史』 前430年頃
プラトン『国家』の最後で語られるパンピュリアの兵士エルの物語では、天を束ねる光の端から「必然の女神の紡錘」が伸び、すべての天球の軌道がそれを軸に回る。紡錘は必然の女神の膝の上で回り、八つの輪の上にセイレンが一人ずつ立って一つの音を発し、全体で一つの調和をなす。まわりには必然の女神の娘であるモイラたち(ラケシス、クロト、アトロポス)が白い衣で玉座に座り、ラケシスは過去を、クロトは現在を、アトロポスは未来を歌う。次の生を選んだ魂は、クロトとアトロポスのもとで運命を確かめられ、必然の女神の玉座の下をくぐってから忘却の平野へ向かう。
プラトン『国家』 前375年頃
プラトン『ティマイオス』では、この宇宙は必然と理性とが組み合わさって生じた。理性が必然を説き伏せ、生じるものの大部分を最善へ導くよう支配したことで、宇宙ははじめにこのように組み立てられたという。
プラトン『ティマイオス』 前4世紀
アナンケ(木星の衛星)/ Ananke木星の衛星アナンケは、1951年にアメリカのウィルソン山天文台で写真から見つかった、半径14kmほどの小さな衛星である。NASAによれば、もとは小惑星で、木星の引力につかまったあと何かとぶつかって砕け、そのかけらが、同じような軌道を回るほかの15個の衛星になったと考えられている。この群れはどれも、木星の自転とは逆向きに回っている。名前には決まりがあって、木星の衛星はゼウスの恋の相手や子孫の名で呼ばれ、外側を回る衛星のうち、順向きのものはおおむね名前が a で、逆向きのものは e で終わるようにしている。Ananke の最後が e なのはそのためだ。アナンケは、古代ギリシャの文学で「必然」を女神の姿にしたものである。