テイレシアスが「死は海から(エクス・ハロス)穏やかに来る」と告げた予言(『オデュッセイア』11.134-137)は、海の生き物であるエイの棘によって成就した、と読むことができる。ホメロスの予言と『テレゴニア』を繋ぐ古来の解釈。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃、エウガンモン(伝)『テレゴニア』 前6世紀頃
Τηλέγονος英雄
英雄オデュッセウスは、どうやって死んだのか。『オデュッセイア』は、その最期を語らない。冥界で予言者が告げたのは、穏やかな老いの果てに、静かな死が訪れる、ということだけだった。
ところが後の時代の伝えは、まったく違う結末を用意した。オデュッセウスを殺したのは、彼自身の息子だったというのである。その息子の名がテレゴノス。魔女キルケが産んだ子だ。
では、父を知らずに父を殺したテレゴノスの物語を見ていこう。
オデュッセウスは、帰り道で魔女キルケの島に1年とどまった。『オデュッセイア』は二人の間に子がいたとは言わない。けれども、失われた叙事詩『テレゴニア』や、それを受け継いだアポロドーロスの伝えでは、キルケは息子を産んでいた。テレゴノスである。
成長したテレゴノスは、母から、自分の父がオデュッセウスだと聞かされた。若者は父を探して船出した。
やがて船は、ある島に着く。そこがイタケだとは知らずに、テレゴノスは島の牛を追い立てて奪おうとした。牛を守ろうと立ち向かってきた男を、テレゴノスは手にしていた槍で突いた。その槍の穂先には、海の生き物であるアカエイのとげが付いていた。傷を負った男は、そのまま死んだ。それが父オデュッセウスだった。
相手が父だと知ったテレゴノスは、激しく嘆いた。彼は父の亡骸と、父の妻ペネロペイアを船に乗せ、母キルケの島へ運んだ。そしてそこで、ペネロペイアを妻にした。キルケは二人を、「幸いなる者の島」へ送り出したという。『テレゴニア』の要約では、さらに、オデュッセウスとペネロペイアの息子が、キルケを妻にしたとされる。父の妻と息子、母と義理の息子が入れ替わる、奇妙な結末である。
冥界の予言では、オデュッセウスの死は「海から」来る、とも読める言葉で語られていた。海の生き物のとげで死んだという結末は、この予言をなぞったものだと古くから読まれてきた。
テレゴノスの名は、遠いイタリアにも残った。ローマの詩人ホラティウスは、イタリアのある町の丘を「父殺しテレゴノスの丘」と呼んでいる。
この物語の出典: ホメロス『オデュッセイア』、ヘシオドス『神統記』、エウガンモン(伝)『テレゴニア』、ホラティウス『歌集(カルミナ)』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』
テイレシアスが「死は海から(エクス・ハロス)穏やかに来る」と告げた予言(『オデュッセイア』11.134-137)は、海の生き物であるエイの棘によって成就した、と読むことができる。ホメロスの予言と『テレゴニア』を繋ぐ古来の解釈。
ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃、エウガンモン(伝)『テレゴニア』 前6世紀頃
ヘシオドス『神統記』では、キルケがオデュッセウスに産んだ子としてアグリオス、ラティノス、テレゴノスが挙げられ、テュレニア人を治めたとされる。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃
異伝: ローマ側の伝承では、テレゴノスはイタリアのトゥスクルム(現フラスカーティ付近)の創建者とされる。ホラティウスはこの町の丘を「父殺しテレゴノスの丘」と呼ぶだけで説明を加えておらず、読者に通じる話だったことが分かる。イタリア諸都市をギリシャ英雄に結びつける系譜の一例。
ホラティウス『歌集(カルミナ)』 前23年・前13年
父と知ったテレゴノスは激しく嘆き、遺骸とペネロペイアをキルケのもとへ運んでペネロペイアを妻とし、キルケは二人を幸いなる者の島へ送った。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
『イリアス』にも『オデュッセイア』にも登場しない。ホメロスはオデュッセウスとキルケの間の子に一切触れず、この人物は叙事詩環『テレゴニア』とその系統の資料にのみ現れる。
エウガンモン(伝)『テレゴニア』 前6世紀頃
父を探してイタケに渡り、その島と知らずに家畜を奪う。防ごうとしたオデュッセウスを、エイの棘を穂先に付けた槍で突き、父と知らぬまま殺す。
エウガンモン(伝)『テレゴニア』 前6世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
『テレゴニア』の要約では、この後テレゴノスはペネロペイアを、テレマコスはキルケを娶り、キルケは二人を祝福の島へ送ったとされる。父の妻と子、母と義理の子が入れ替わる後日談。
エウガンモン(伝)『テレゴニア』 前6世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃