ディオドロスは、リビュアを進むオペラスの軍の道筋にあった、ツタにおおわれた大きな洞窟を、並はずれて美しい女王ラミアが生まれた場所として紹介する。生まれた子がみな死ぬと、女王はほかの女たちの子の幸せをねたみ、生まれたばかりの赤ん坊を母親の腕から奪って殺させた。その心の残酷さのために、顔がけもののように変わったという。ディオドロスは、自分の時代にもこの話は子どもたちのあいだに残り、その名は子どもにとって何より恐ろしいと書く。
ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半

Λάμια怪物
ラミア。ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの作。 『ラミア』 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 1909年 所蔵者は公開されていない(アグニューズ画廊の売却記録に掲載)Public domain
クレタ島の森で、神々の使者ヘルメスは一匹の蛇に出会う。朱の斑点に、金と緑と青。孔雀の羽のような目の模様をもち、虹のようにきらめく蛇だ。頭は蛇なのに、口だけが女の口をしている。蛇はヘルメスに頼んだ。私はもとは女でした。どうかもう一度、女の姿にしてください。コリントスの町の若者を愛しているのです。
イギリスの詩人ジョン・キーツが1820年に発表した物語詩『ラミア』は、こうして始まる。女の姿をもらった蛇ラミアは、若者と結ばれる。ところが婚礼の宴に、若者の師である老哲学者が招かれもせずにやって来る。哲学者は花嫁から目を離さず、ついに「蛇だ!」と言い放つ。その声とともに花嫁は悲鳴をあげて消え、若者もその夜のうちに息絶えた。
美女に化けて若者を惑わす蛇。ラミアという名は、キーツよりずっと前、古代ギリシャで子どもたちが何より恐れた女の名だった。
では、古代の人々がラミアをどんな怪物として語っていたのか、時代をさかのぼって見ていこう。
紀元前1世紀の歴史家ディオドロスは、北アフリカのリビュアを進む軍隊の話のなかで、ある洞窟に触れている。ツタにびっしりとおおわれたその洞窟で、昔、並はずれて美しい女王ラミアが生まれたという。女王の産んだ子は、みな死んでしまった。不幸に打ちのめされた女王は、子に恵まれたほかの女たちの幸せをねたみ、生まれたばかりの赤ん坊を母親の腕から奪って、すぐに殺すよう命じた。その心の残酷さのために、顔もけもののように変わり果てたと伝えられる。ディオドロスは、自分の時代になっても、この女の話は子どもたちのあいだに残っていて、その名は何より恐ろしい名なのだ、と書き添えている。悲劇詩人エウリピデスも、リビュア生まれのラミアの名を知らない者がいるだろうか、と書いたという。
ゼウスとヘラが出てくる筋書きも残っている。10世紀の百科事典『スーダ』が古い歴史家の本から引くところでは、リビュアの美しい女ラミアはゼウスに愛された。それをねたんだゼウスの妻ヘラが、ラミアの産んだ子をことごとく殺してしまう。悲しみのあまりラミアは醜い姿になり、よその子どもをさらっては殺すようになった。
ラミアには、目を取りはずせるという奇妙な話もつきまとう。1世紀末から2世紀初めのギリシャの著述家プルタルコスは、たとえ話にこんな言い伝えを使っている。ラミアは家にいるときは目をはずして壺にしまい、何も見えないまま眠る。外へ出るときには目をはめて、ものを見る。ディオドロスは、この話に理屈をつけている。女王は酒に酔うと、人々が何をしても気にかけず、好きにさせた。そのため人々は、女王は目が見えないのだと思った。それが、女王は目を瓶に投げ入れた、という話になったのだという。
子どもを食べる怪物の話は、ローマでもよく知られていた。詩人ホラティウスは、詩の書き方を説いた作品のなかで、作り話にも限度があると言う。食事を終えたラミアの腹から、生きた子どもを引っぱり出すような話はいけない、と。
やがてラミアは、美しい女の姿で若い男に近づく化け物としても語られるようになる。3世紀の著述家ピロストラトスは、1世紀の哲学者アポロニオスの伝記に、コリントスでの出来事を書いた。哲学を学ぶ美しい若者が、ひとりで道を歩いていると、ひとりの女が手を取り、ずっとあなたを愛していた、と言う。女は町はずれに住む裕福な外国の女だと名乗り、若者はその家に通うようになった。アポロニオスは若者をじっと見て言った。君は蛇を大事にしていて、蛇も君を大事にしている。
婚礼の日、アポロニオスは宴の席に現れ、金銀で飾られた広間を指して、これはみな見せかけだと告げる。この花嫁は、世の人がラミアと呼ぶたぐいのものだ。こうしたものは愛の喜びで人を誘い込み、やがて食らってしまうのだ、と。女は、縁起でもないことを言うな、と怒ってみせた。だがアポロニオスが言葉を重ねるうちに、金の杯も銀の器も宙に消え、酒を注ぐ者も料理人も召使いたちも、跡形もなくいなくなった。女は泣くふりをして、責めないでくれと頼んだが、最後には白状した。若者を楽しませて太らせ、そのあとで食べるつもりだった。若く美しい体の血は、清く力強いから。
ピロストラトスの話では、若者は助かっている。キーツはこの筋立てを借りながら、花嫁を一匹の蛇にし、正体を暴かれた花嫁と一緒に若者の命も消える結末にした、と読める。子を奪われた母が子をさらう怪物になり、さらに若者を惑わす美女になり、最後には恋する蛇になった。ラミアの姿は、語る人が変わるたびに少しずつ変わってきた。

この物語の出典: ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』、ホラティウス『詩論(ピソ父子への書簡)』、プルタルコス『詮索好きについて』、ピロストラトス『テュアナのアポロニオス伝』、(編者不詳)『スーダ辞典』、ジョン・キーツ『ラミア』
ディオドロスは、リビュアを進むオペラスの軍の道筋にあった、ツタにおおわれた大きな洞窟を、並はずれて美しい女王ラミアが生まれた場所として紹介する。生まれた子がみな死ぬと、女王はほかの女たちの子の幸せをねたみ、生まれたばかりの赤ん坊を母親の腕から奪って殺させた。その心の残酷さのために、顔がけもののように変わったという。ディオドロスは、自分の時代にもこの話は子どもたちのあいだに残り、その名は子どもにとって何より恐ろしいと書く。
ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半
『スーダ』は、サモスのドゥリスの『リビュア誌』2巻を引いて、ラミアはリビュアの美しい女で、ゼウスと交わったためにヘラにねたまれ、産んだ子をことごとく殺された、とする。悲しみのあまり醜い姿になり、ほかの者の子をさらって殺すようになった。ディオドロスの話には、ゼウスとヘラは出てこない。
ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半、(編者不詳)『スーダ辞典』 10世紀
プルタルコスは、詮索好きを戒めるたとえに、言い伝えのラミアを使う。ラミアは家では目をはずして壺にしまい、見えないまま眠るが、外へ出るときは目をはめて見る。人は他人のことには目をはめ、自分のことには目を閉じている、というたとえ。
プルタルコス『詮索好きについて』 1世紀末〜2世紀初頭
ホラティウスは、人を楽しませる作り話でも真実に近くなければならず、何でも信じろと求めてはいけない、その例として「食事を終えたラミアの腹から生きた子どもを引き出す」話を挙げる。子どもを飲みこむラミアの話が、ローマでも知られていたことが分かる。
ホラティウス『詩論(ピソ父子への書簡)』 前1世紀後半
ピロストラトスは、コリントスで哲学を学ぶ25歳の若者メニッポスが、ケンクレアイへの道で出会った女に誘われ、通うようになった話を伝える。アポロニオスは「君は蛇を大事にし、蛇も君を大事にしている」と告げ、婚礼の宴で、花嫁は世の人がラミアや化け物と呼ぶたぐいのもので、愛の喜びで人を誘って食らうのだと明かす。金銀の器や召使いは消え、女は、若者を楽しませて太らせてから食べるつもりだった、若く美しい体の血は清く強いからだ、と白状した。ピロストラトスはこれを、アポロニオスの話のうちで最もよく知られたもの、と書く。
ピロストラトス『テュアナのアポロニオス伝』 3世紀前半
パウサニアスによれば、デルポイの人々は、はじめて神託を語った女(ヘロピレより前のシビュラ)を、ゼウスと、ポセイドンの娘ラミアとのあいだの子だと言う。シビュラという呼び名はリビュアの人々が付けたという。子をさらうリビュアの女王と同じラミアかどうかは書かれていない。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
詩人ステシコロスは『スキュラ』という詩で、怪物スキュラをラミアの娘とした、とアポロニオス『アルゴナウティカ』の古註が伝える。
『Theoi Greek Mythology(Webサイト)』 2000年〜
キーツの物語詩『ラミア』(1820年)では、ラミアはクレタの森に住む虹色の蛇で、もとは女だったと言い、ヘルメスに恋人のニンフの居場所を教える代わりに女の姿を返してもらう。コリントスの若者リュキオスと暮らし婚礼を挙げるが、招かれずに来た哲学者アポロニオスに「蛇だ」と見破られて消え、リュキオスもその夜に息絶える。コリントス、ケンクレアイへの道、哲学者アポロニオスという筋は、ピロストラトス『アポロニオス伝』4.25 と重なる。
ピロストラトス『テュアナのアポロニオス伝』 3世紀前半、ジョン・キーツ『ラミア』 1820年刊
ラミアの名は、ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』、ヘシオドス『神統記』、アポロドーロス『ビブリオテーケー』、オウィディウス『変身物語』、ヒュギヌス『神話集』には出てこない。まとまった話は、歴史家ディオドロスや辞典『スーダ』、著述家たちのたとえ話のなかに残る。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃、ヘシオドス『神統記』 前700年頃、オウィディウス『変身物語』 8年頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』 1〜2世紀頃
ディオドロスは、ラミアがリビュア生まれである証人としてエウリピデスの詩句を引く。リビュア生まれのラミアの名を知らぬ者があろうか、人の世で最も忌まわしい名だ、という趣旨の一節で、どの劇かは書かれていない。
ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半
ディオドロスは、目の話を合理的に説明する。女王は酒を飲むと、人々が何をしても見とがめず好きにさせたので、民は女王が目が見えないのだと思った。そこから、女王は目を瓶に投げ入れた、という作り話になった。酒に酔って何も見なくなることを、酒をはかる器にたとえたものだという。
ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半