プシュケとクピドの物語は、2世紀のアプレイウス『変身物語(黄金のろば)』の中で、老婆が囚われの娘に語る挿話として残る。ギリシャ語の古い叙事詩や悲劇には、この筋でプシュケが登場する作品は伝わっていない。
アプレイウス『変身物語(黄金のろば)』 2世紀後半

Ψυχή人間
アモル(エロス)とプシュケ。プシュケの頭上の蝶は魂の象徴。フランソワ・ジェラールの作。 『プシュケとアモル(アモルの最初の口づけを受けるプシュケ)』 フランソワ・ジェラール 1798年Public domain
「心理学」を英語でサイコロジーという。この言葉は16世紀に、ギリシャ語で「息」や「魂」を意味するプシュケに、「学」を付けて作られた。神話には、その「魂」を名に持つ娘がいた。愛の神エロスの妻となった王女、プシュケである。
人間の娘が神の妻になり、ついには自分も神になる。その物語を、はじめから見ていこう。
この物語がまとまった形で残っているのは、2世紀のローマの作家アプレイウスの小説『黄金のろば』(『変身物語』とも呼ばれる)の中だけだ。捕らわれた娘を慰めるために、老婆が語って聞かせる話として出てくる。そこでは神々もローマの名で呼ばれ、愛の女神はウェヌス、その息子はクピドだが、ここではギリシャの名で呼ぼう。
ある国の王女プシュケは、あまりに美しかった。人々はプシュケを女神のように拝み、愛の女神アプロディテの神殿は見捨てられていく。怒った女神は息子のエロスに命じた。あの娘を、この世でいちばん卑しい男に恋させておやり、と。
一方、父王はアポロンの神託を伺った。答えは恐ろしいものだった。娘に花嫁衣装を着せて山の岩の上に置き、神々さえ恐れる怪物のような夫を待て。
岩の上で震えていたプシュケを、西風がふわりと運び去る。降ろされた先には、見事な宮殿があった。夫は夜にだけやって来て、決して自分の姿を見てはならないと言った。
ところが姉たちが、プシュケに吹き込む。お前の夫は大蛇だ、と。不安になったプシュケは、ある夜、灯火と剃刀を手に、眠る夫の顔をのぞき込む。そこにいたのは怪物ではなく、愛の神エロスその人だった。見とれていると、灯火の油が一滴こぼれて、神の肩を焼いた。目を覚ましたエロスは、そのまま飛び去ってしまう。

夫を探してさまよったプシュケは、ついにアプロディテのもとへたどり着く。女神は、息子を奪った娘に次々と難題を課した。混ぜ合わせた穀物を、種類ごとにより分けること。これは蟻たちが手伝ってくれた。金の毛の羊から毛を取ってくること。冥界の川ステュクスの源から水を汲んでくること。これは鷲が代わりに汲んでくれた。
最後の難題は、冥界の女王ペルセポネから、美しさの詰まった小箱をもらってくることだった。プシュケは冥界から無事に箱を持ち帰る。ところが帰り道、好奇心に負けて、その箱を開けてしまった。中から出てきたのは美しさではなく、冥界の眠りだった。プシュケはその場に倒れて眠り込む。
そこへエロスが飛んできて、眠りを箱に戻し、妻を起こした。やがてゼウスは神々を集めて二人の結婚を認め、プシュケに神々の飲み物を与えて不死の身にした。二人のあいだには、「悦び」という名の娘が生まれたという。
「開けてはならない箱」といえば、パンドラの箱を思い出す人も多いだろう。もともとパンドラの話にあったのは箱ではなく甕で、それが16世紀に「小箱」と書き換えられた背景には、このプシュケの小箱との取り違えがあった、という見方もある。
この物語の出典: アプレイウス『変身物語(黄金のろば)』、ドラ・パノフスキー / エルヴィン・パノフスキー『パンドラの箱 ― ある神話的象徴の変容』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
プシュケとクピドの物語は、2世紀のアプレイウス『変身物語(黄金のろば)』の中で、老婆が囚われの娘に語る挿話として残る。ギリシャ語の古い叙事詩や悲劇には、この筋でプシュケが登場する作品は伝わっていない。
アプレイウス『変身物語(黄金のろば)』 2世紀後半
プシュケの美しさに人々がウェヌスの神殿を空けて彼女を拝むようになり、怒ったウェヌスは息子クピドに、最も卑しい男に恋させよと命じる。父王がミレトスのアポロンの神託を伺うと、娘を花嫁衣装で岩山に置き、神々も恐れる怪物のような夫を待て、と告げられる。
アプレイウス『変身物語(黄金のろば)』 2世紀後半
西風に運ばれた宮殿で、夫は夜にだけ訪れ、姿を見ることを禁じる。姉たちに「夫は大蛇だ」と吹き込まれたプシュケは灯火と剃刀を持って寝顔を見るが、そこにいたのはクピドだった。灯火の油が一滴こぼれて肩を焼き、クピドは飛び去る。
アプレイウス『変身物語(黄金のろば)』 2世紀後半
ウェヌスはプシュケに、混ざった穀物のより分け(蟻が手伝う)、金の羊毛の採取、ステュクスの源の水汲み(鷲が手伝う)、冥界のプロセルピナから美の小箱をもらってくること、という難題を課す。
アプレイウス『変身物語(黄金のろば)』 2世紀後半
冥界から持ち帰った小箱(pyxis)を、プシュケは好奇心から開けてしまい、中から出た「ステュクスの眠り」に倒れる。クピドが眠りを箱に戻して彼女を起こす。
アプレイウス『変身物語(黄金のろば)』 2世紀後半
「パンドラの箱」の「箱」は、ヘシオドスの甕(ピトス)を16世紀初めにエラスムスが pyxis(小箱)と書いたことに遡るとされ、その背景にプシュケが冥界から持ち帰る pyxis との取り違えがあったという見方がある。誤訳か意図的な言い換えかは確定していない。
ドラ・パノフスキー / エルヴィン・パノフスキー『パンドラの箱 ― ある神話的象徴の変容』 1956年
ユピテルは神々の集会でクピドとプシュケの結婚を認め、プシュケにアンブロシアの杯を与えて不死にする。二人のあいだには娘ウォルプタス(悦び)が生まれる。
アプレイウス『変身物語(黄金のろば)』 2世紀後半
プシュケはギリシャ語で「息・魂」を意味する普通名詞で、古代ギリシャでは死者の魂が翼のあるもの、蝶や蛾の姿で表されることがあった。英語 psychology(心理学)も同じ語から作られた。
ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
5.25 川に身を投げて助かったプシュケを慰め、クピドの心を取り戻すよう諭す
小惑星プシケと探査機サイキ / Psyche太陽から地球の約3倍の距離を回る小惑星プシケ(英語読みでサイキ)は、金属を多く含むとみられる小惑星で、NASAによれば、太陽系ができたころの小さな天体の中心核の名残かもしれない。2023年10月にNASAの探査機サイキが打ち上げられ、2029年8月にこの小惑星での本格的な観測を始める予定である。名前は、1852年3月17日にこの小惑星を見つけたイタリアの天文学者アンニーバレ・デ・ガスパリスが付けた。NASAは、魂の女神で、人間として生まれ、愛の神エロス(ローマのクピド)と結ばれたプシュケにちなむと説明している。16番目に見つかった小惑星なので「16プシケ」とも呼ばれる。金属を多く含むかもしれない星に、「魂」を意味する名が付いているわけである。
心理学 / psychology英語 psychology は近代ラテン語 psychologia から来ている。16世紀半ばにドイツでメランヒトンが、ギリシャ語 psykhē「息・魂」に -logia「学」をつけて作ったと考えられている。psykhē はクピド(エロス)の恋人プシュケの名でもあり、古代では魂が蝶の姿で表されることがあった。今の行動科学としての意味は1890年代から。