ギリシャ神話の地図
パンドラ開けた人ゼウス贈り主プロメテウスきっかけエピメテウス受け手ヘパイストス造り手ヘルメス運び手

パンドラの壺(箱)

πίθος物品

「パンドラの箱を開ける」。取り返しのつかない災いを呼び出してしまうことのたとえとして、日本語でもよく使われる。

ところが、いちばん古い出典である、ヘシオドスの『仕事と日』を開くと、箱はどこにも出てこない。そこにあるのは、穀物やぶどう酒をたくわえる大きな甕だ。この甕に何が入っていて、なぜ「箱」になったのか。

話は、神プロメテウスが、ゼウスの隠した火を盗み、中が空洞になった草の茎に入れて人間に渡したところから始まる。怒ったゼウスは言った。火の代わりに、人間に災いを贈ってやろう。皆がそれを喜んで抱きしめながら、自分の破滅を抱きしめることになるような災いを。

ゼウスの命令で、鍛冶の神ヘパイストスが土と水をこねて、女神のように美しい娘の姿をこしらえた。女神アテナが機織りを教え、衣を着せた。愛の女神アプロディテが魅力を注ぎ、伝令神ヘルメスは、恥知らずな心とうそと人をだます言葉を吹き込んだ。オリュンポスの神々がみな贈り物をしたので、娘はパンドラと名づけられた。「すべての贈り物」という意味の名である。

ゼウスはこの娘を、プロメテウスの弟のもとへ贈った。プロメテウスは弟に、ゼウスからの贈り物は決して受け取らず送り返せと言い聞かせていた。弟はそれを忘れて受け取り、災いが自分のものになってから、ようやく気づいた。

それまで人間は、災いも、つらい労働も、人を老いさせる重い病も知らずに暮らしていた。ところがパンドラが、両手で甕の大きな蓋を取りのけてしまう。中にあったものは、世界じゅうに飛び散った。

ただ一つ、希望だけが、甕の縁の内側にとどまって、外へ飛び出さなかった。飛び出す前に、ゼウスの意思で蓋が閉じられたからだ。飛び出した数えきれない災いは、いまも人間のあいだをさまよっている。陸も海も災いだらけ。病は昼も夜も勝手にやってくる。ゼウスが病から声を取り上げたので、音もなく忍び寄ってくる。

『仕事と日』は、この甕が誰のもので、どこから来たのかを説明していない。残った希望が、人間に残された救いなのか、それとも人間から取り上げられたものなのかも、書かれていない。希望と訳される言葉は、悪いことの予感も含む言葉なので、この一行の読み方は昔から分かれている。

では、甕はいつ箱になったのか。パノフスキー夫妻の美術史研究によれば、16世紀のはじめ、人文学者エラスムスがこの話をラテン語で語り直したとき、甕を小箱と言い換えたのが始まりだという。それ以来、ヨーロッパの絵や物語は、箱を抱えたパンドラを描き続けてきた。

箱の蓋を開けるパンドラ。後の時代の絵では、甕はこのように箱として描かれた。
箱の蓋を開けるパンドラ。後の時代の絵では、甕はこのように箱として描かれた。『パンドラ』 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 1896年Public domain

この物語の出典: ヘシオドス『仕事と日』、エラスムス『格言集(アダギア)』、ドラ・パノフスキー / エルヴィン・パノフスキー『パンドラの箱 ― ある神話的象徴の変容』、小学館『デジタル大辞泉』

この物語の人々

ローマ以後の語り

「箱」への変化は、エラスムスが『格言集』(1508)でこの話をラテン語で語ったとき pithos を pyxis(小箱)としたことに遡るとされる。以後の西欧の絵画・文学は一貫して「箱」を描く。

ドラ・パノフスキー / エルヴィン・パノフスキー『パンドラの箱 ― ある神話的象徴の変容』 1956年

日本語では「パンドラの箱」が見出し語として国語辞典に立てられている。ただし『デジタル大辞泉』『精選版 日本国語大辞典』の語釈はいずれも神話の筋の説明にとどまり、比喩としての意味は載せない。比喩義を語釈に立てるのは『故事成語を知る辞典』などで、「さまざまな災いを引き起こす原因となるもののたとえ」とする。

小学館『デジタル大辞泉』 随時改訂

もっと詳しく

ヘシオドスが使う語は πίθος(ピトス)、すなわち穀物や葡萄酒を貯える大甕。小箱ではない。

ヘシオドス『仕事と日』 前700年頃

ヘシオドスはこの甕が誰の持ち物で、どこから来たのかを説明しない。パンドラが持参したのか、エピメテウスの家にあったのかは原文からは決まらない。

ヘシオドス『仕事と日』 前700年頃

災いが飛び散った後、エルピス(ἐλπίς)だけが甕の縁の内側に残り、飛び出さなかった。エルピスは「希望」とも「(悪いことも含む)予期」とも訳せるため、人間に希望が残されたのか、希望まで奪われたのかで解釈が分かれる。

ヘシオドス『仕事と日』 前700年頃

甕から飛び散った数えきれない災いは人間のあいだをさまよい、病は昼も夜もひとりでにやってくる。ゼウスが声を奪ったので、音もなく忍び寄る。

ヘシオドス『仕事と日』 前700年頃

今の言葉に残る

パンドラの箱「さまざまな災いを引き起こす原因となるもの」のたとえ。ヘシオドス『仕事と日』では pithos(大甕)で、これが「箱」になったのはエラスムスがラテン語で語り直した際に pyxis(小箱)の語を用いたためとされる(パノフスキー夫妻の研究による)。日本語の辞典も「パンドラの箱」を見出しにして、「本来は壺」と書き添えている。詳しくは読み物「パンドラの箱とパンドラの壺」に。

呼び名の話

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このページの出典(3件)
  1. 前700年頃ヘシオドス『仕事と日』
  2. 1956年ドラ・パノフスキー / エルヴィン・パノフスキー『パンドラの箱 ― ある神話的象徴の変容』
  3. 随時改訂小学館『デジタル大辞泉』