父は「高く飛ぶと太陽で膠が溶け、海に近すぎると湿気で羽がはがれる」と、上下両方を戒めていた。イカロスは聞かずにどんどん高く昇り、膠が溶けて、のちに彼の名で呼ばれるイカリア海に落ちて死んだ。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

Ἴκαρος人間
墜ちたイカロスを嘆くニンフたち。ドレイパーの絵。 『イカロスへの哀悼』 ハーバート・ジェイムズ・ドレイパー 1898年 テートPublic domain
2010年、日本の宇宙機関JAXAは、太陽の光を帆に受けて宇宙を進む実験機を打ち上げた。名前はIKAROS(イカロス)。光の力だけで進む帆の技術を、世界で初めて確かめた機体だ。背負った名は、太陽に近づきすぎて海に落ちた神話の少年のものである。
少年はなぜ空を飛び、なぜ落ちたのか。
イカロスは、名工ダイダロスの息子である。父子はクレタ島で、ミノス王に閉じ込められていた。アポロドーロスによれば、王の迷宮から英雄テセウスが逃げ出した手引きをしたのがダイダロスだと知って、王は父子をその迷宮に閉じ込めたのだという。
ローマの詩人オウィディウスは、脱出の場面をこう描く。王が海も陸もふさいでいても、空だけは自由だ。父はそう考えて、鳥の羽を小さいものから大きいものへと並べ、真ん中を糸で、根元を蝋で留めて、ゆるやかに曲げて翼を作った。そのそばで、息子は何も知らずにほほえみ、風に舞う羽を追いかけたり、黄色い蝋を指でこねたりして、父の仕事の邪魔をしていた。

翼ができあがると、父は息子に言い聞かせた。真ん中の高さを飛べ。低すぎれば波のしぶきで翼が重くなり、高すぎれば太陽に焼かれる。そう言って息子の肩に翼をつける父の手は震え、頬には涙が流れていた。

二人は飛び立った。釣り人も、羊飼いも、畑を耕す農夫も、空を行く二人を見上げて、神々だと思ったという。
けれども、うまく飛べることがうれしくなった少年は、先を行く父から離れ、空に引かれるように高く昇っていった。太陽の熱が蝋をやわらかくし、やがて溶かした。羽の抜けた腕をいくら振っても、もう体は浮かない。父の名を呼ぶ口が、青い海に呑み込まれた。

もう父と呼んでくれる子はいない。イカロス、どこにいる、どこを探せばいい。そう呼び続けて、ようやく波間に浮かぶ羽を見つけた。父は自分の技を呪い、近くの島の岸に遺体を葬った。少年の落ちた海はイカリア海、葬られた島はイカリア島と呼ばれるようになった。今もエーゲ海に、その名の島がある。
アポロドーロスの語りはもっと短いが、父の忠告は同じく上下の両方に向けられている。高く飛べば太陽でにかわが溶ける。海に近づけば湿気で羽がはがれる。少年は高すぎた方の忠告だけを破った。
古代の旅行家パウサニアスは、翼の話そのものを信じなかった。彼が伝えたのは、父子が小舟で逃げ、舟の扱いが下手な息子の舟が転覆した、という話である。
この物語の出典: オウィディウス『変身物語』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、パウサニアス『ギリシア案内記』、小学館『デジタル大辞泉』
父は「高く飛ぶと太陽で膠が溶け、海に近すぎると湿気で羽がはがれる」と、上下両方を戒めていた。イカロスは聞かずにどんどん高く昇り、膠が溶けて、のちに彼の名で呼ばれるイカリア海に落ちて死んだ。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
オウィディウスでは、大胆な飛行が楽しくなった少年が空への憧れに引かれて父から離れ、太陽の近くで蝋が溶けた。父の名を叫ぶ口が青い海に呑まれ、その海は彼の名を取った。父は「イカロス、イカロス、どこにいる」と呼び、波間に羽を見つけて自分の技を呪い、遺体を葬った土地もその名で呼ばれるようになった。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
パウサニアスの伝える合理化版では、翼ではなく小舟で逃げる途中、操船が下手だったイカロスの舟が転覆した。遺体はサモス沖の名もない島に流れ着き、それを見つけて葬ったのはヘラクレスだった。島と周りの海がイカロスの名で呼ばれるのはそのため。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
アポロドーロスによれば、母はミノスの女奴隷ナウクラテ。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
サモス島沖のイカリア島とその周りのイカリア海は、イカロスにちなむ名と説明されてきた。アポロドーロス、オウィディウス、パウサニアスがそろって地名の由来として語っている。
オウィディウス『変身物語』 8年頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
JAXA が2010年に金星探査機あかつきとともに打ち上げた太陽帆の実証機は IKAROS(イカロス)と名づけられた。太陽光の圧力を受けて進む太陽帆の技術実証に世界で初めて成功した。太陽に近づいて落ちた神話の少年の名を、太陽光で進む帆が背負っている。
小学館『デジタル大辞泉』 随時改訂
オウィディウスでは、ダイダロスは羽を小さいものから大きいものへ並べ、真ん中を糸で、根元を蝋で留めて翼を作る。そばで幼いイカロスは羽を追いかけ、蝋を指でこねて仕事の邪魔をする。父は「真ん中を飛べ」と忠告し、涙を流しながら息子に翼をつける。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
飛んでいく父子を見上げた釣り人、羊飼い、農夫は、二人を神々だと思った。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
イカリア島・イカリア海エーゲ海のイカリア島と周りの海の名は、古代からイカロスが落ちた(あるいは流れ着いた)場所として説明されてきた。アポロドーロスは落ちた海が彼の名でイカリア海と呼ばれたとし、オウィディウスは海と葬った土地の両方が彼の名を取ったと書き、パウサニアスはサモス沖の島に遺体が流れ着いてヘラクレスが葬ったと伝える。
IKAROS(イカロス)JAXA の太陽帆(ソーラーセイル)実証機。正式名 Interplanetary Kite-craft Accelerated by Radiation Of the Sun の頭文字を並べると、神話の少年と同じ IKAROS になる。2010年に金星探査機あかつきとともに打ち上げられ、太陽光の圧力で進む太陽帆の技術実証に世界で初めて成功した。太陽に近づきすぎて落ちた少年の名を、太陽の光で進む帆が名乗っている。