アポロドーロスでは、ヘラクレスが十一番目の功業(ヘスペリデスの黄金の林檎)の途上でリビュアを通ると、ポセイドンの子アンタイオスが治めていた。よそ者に組み討ちを強いて殺していた彼を、ヘラクレスは抱えて宙に持ち上げ、骨を砕いて殺した。大地に触れると強くなったので、大地(ゲー)の子だと言う者もいた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃

Ἀνταῖος怪物
ヘラクレスとアンタイオス。銅版画。ジャン・マルコ・カヴァッリの作。 『ヘラクレスとアンタイオス』 ジャン・マルコ・カヴァッリ 1497年ごろ メトロポリタン美術館Public Domain (The Met Open Access, CC0)
ローマの将軍セルトリウスは、北アフリカの町ティンギスで、ある墓を掘り返させたことがある。土地の人々が、アンタイオスの墓だと言い伝えていたからだ。
あまりに大きな墓で、将軍ははじめ土地の人々の話を信じなかった。ところが掘り進めると、長さ60ペーキュス、肘から指先までの長さの60倍もある遺体が出てきたという。将軍は肝をつぶし、いけにえを捧げて墓を埋め戻すと、それからはこの言い伝えを重んじた。プルタルコスの『英雄伝』に出てくる話である。
この巨大な男は、ギリシャ神話では、英雄ヘラクレスと組み討ちをした相手として知られている。大地に触れるたびに強くなる、というのがその秘密だった。どんな話だったのか、見ていこう。
アポロドーロスの神話集によれば、アンタイオスは海の神ポセイドンの息子で、北アフリカのリビュアを治めていた。通りかかるよそ者に無理やり組み討ちを挑み、負かしては殺していた。
そこへやって来たのがヘラクレスだった。11番目の功業、西の果ての黄金のリンゴを取りに行く旅の途中である。組み討ちを強いられたヘラクレスは、相手を抱きかかえて宙に持ち上げ、締めつけて骨を砕き、殺した。アンタイオスは、大地に触れると強さを増したからだ。そのため、彼を大地の女神の息子だと言う人もいた、とアポロドーロスは書き添えている。
紀元前5世紀の詩人ピンダロスは、もっと恐ろしい姿を伝えている。アンタイオスは、殺したよそ者たちのどくろで、父ポセイドンの神殿の屋根を葺いていた。それをやめさせるため、テバイから一人の男が組み討ちにやって来る。見た目は小柄だが、心はけっしてくじけない男。アルクメネの息子、つまりヘラクレスだ。
紀元前1世紀の歴史家ディオドロスも、ヘラクレスがリビュアに渡って最初に倒したのがアンタイオスだったと書く。体の強さと組み討ちの腕で知られ、負かしたよそ者を殺していた男だった。ヘラクレスはそのあと、リビュアにあふれていた獣を退治し、畑を耕し木を植えられる土地にしたという。
この組み討ちは、十二の功業と肩を並べる手柄にもなった。旅行家パウサニアスによれば、テバイのヘラクレス神殿の破風には、十二の功業の大部分が彫られていた。ところが、ステュンパロスの鳥退治と、エリスの国の掃除の二つが外され、代わりにアンタイオスとの組み討ちが入っていたという。
ティンギスには後日談も残っていた。アンタイオスの死後、その妻ティンガはヘラクレスと結ばれ、息子ソパクスが生まれた。ソパクスはこの地の王となり、母の名をとって町を建てた、というのである。もっともプルタルコスは、この話は、ソパクスの子孫を名乗った学問好きの王を喜ばせるための作り話だろう、と冷ややかに書いている。
ローマの博物学者プリニウスも、大西洋に面した町リクソスに、アンタイオスの宮殿があり、ヘラクレスとの戦いの舞台になった、という昔の作家たちの話を書き留めている。神話の巨人は、北アフリカの西の端の町々で、自分たちの土地の物語として語り継がれていた。
この物語の出典: ピンダロス『祝勝歌集』、ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』、大プリニウス『博物誌』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、プルタルコス『対比列伝(英雄伝)』、パウサニアス『ギリシア案内記』
アポロドーロスでは、ヘラクレスが十一番目の功業(ヘスペリデスの黄金の林檎)の途上でリビュアを通ると、ポセイドンの子アンタイオスが治めていた。よそ者に組み討ちを強いて殺していた彼を、ヘラクレスは抱えて宙に持ち上げ、骨を砕いて殺した。大地に触れると強くなったので、大地(ゲー)の子だと言う者もいた。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
パウサニアスによれば、テバイのヘラクレス神殿の破風の彫刻(プラクシテレス作)は十二の功業の大部分を表していたが、ステュンパロスの鳥とエリスの国の掃除が外され、代わりにアンタイオスとの組み討ちが置かれていた。
パウサニアス『ギリシア案内記』 2世紀
プルタルコスによれば、リビュアの人々はアンタイオスがティンギスに葬られていると言い、ローマの将軍セルトリウスはその墓を掘らせた。大きさを疑っていたが、60ペーキュスの遺体が出てきたので驚き、いけにえを捧げて埋め戻し、その言い伝えと祭りを重んじた。
プルタルコス『対比列伝(英雄伝)』 2世紀初頭
ティンギスの人々の言い伝えでは、アンタイオスの死後、妻ティンガがヘラクレスと結ばれてソパクスを産み、ソパクスは王となって母の名を町につけた。プルタルコスは、この話はソパクスの子孫とされた学問好きの王ユバを喜ばせるためのものだろうと評する。
プルタルコス『対比列伝(英雄伝)』 2世紀初頭
プリニウスは、大西洋岸のリクソスについて、アンタイオスの宮殿があり、ヘラクレスとの戦いの場で、ヘスペリデスの園もここにあったと古い作家たちが語る、と記す。
大プリニウス『博物誌』 77年
オウィディウスでは、毒の衣に苦しむヘラクレスが、これまでの手柄を数え上げる中で「獰猛なアンタイオスから母の助けを奪った」と言う。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
ピンダロスは、アンタイオスが殺したよそ者たちのどくろでポセイドンの神殿の屋根を葺いていたと語り、それを止めるためにテバイから来たヘラクレスを「姿は小さいが、心はくじけぬ男」と呼ぶ。
ピンダロス『祝勝歌集』 前5世紀前半
父はポセイドンとするのがアポロドーロスとピンダロス、ヒュギヌスもネプトゥヌスの子の列に名を挙げる。一方ヒュギヌスの「ヘラクレスの副次的な手柄」の章では「大地の子アンタイオス」とされ、アポロドーロスも、大地に触れると強くなることから大地の子と言う者がいたと記す。
ピンダロス『祝勝歌集』 前5世紀前半、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、ヒュギヌス『神話集(ファブラエ)』 1〜2世紀頃
ディオドロスでは、ヘラクレスはクレタから船でリビュアに渡り、体の強さと組み討ちの技で名高く、負かしたよそ者を殺していたアンタイオスに挑んで組みつき、殺した。その後リビュアの獣を退治して、耕作と植樹ができる土地にした。
ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半