父はデウカリオン、母はピュラ。ヘシオドスの名で伝わる系譜詩でもそうなっている。
ヘシオドス(に帰される)『女たちのカタログ(エーホイアイ)断片』 前6世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
Ἕλλην人間
アレクサンドロス大王のあとに広がったギリシャ風の文化を「ヘレニズム」と呼ぶ。ギリシャ人は自分たちのことを、古くから「ヘレネス」と呼んできた。神話は、その名のもとになった一人の男を用意している。ヘレンである。
トロイアの美女ヘレネと一字違いだが、まったくの別人で、名前も別の言葉だ。ギリシャ人の名のご先祖とされたこの人物の話を、見ていこう。
ヘレンの話は、世界を洪水が襲ったあとから始まる。アポロドーロスによれば、ゼウスが青銅の時代の人間を滅ぼそうとしたとき、神プロメテウスは、息子デウカリオンに箱舟を作らせた。デウカリオンは妻ピュラと箱に乗り込み、9日9晩海をただよって、パルナッソス山にたどり着いた。ゼウスの言いつけで二人が肩越しに石を投げると、夫の投げた石は男に、妻の投げた石は女になった。

この夫婦の最初の子がヘレンだった。父は実はゼウスだという者もいる、とアポロドーロスは書き添えている。
ヘレンは、ニンフとのあいだに3人の息子をもうけた。ドロス、クストス、アイオロス。アポロドーロスによれば、それまでグライコイと呼ばれていた人々を、ヘレンは自分の名にちなんでヘレネスと呼ぶようにし、国を息子たちに分け与えた。ドロスの土地の人々はドーリス人と呼ばれ、アイオロスの治めた土地の人々はアイオリス人と呼ばれた。クストスの二人の息子からは、アカイア人とイオニア人の名が出た。ギリシャ人を構成するおもな部族の名が、一つの家の系図にまとめられているのである。
アイオロスの息子たちのなかには、冥界で岩を押し上げ続けることになるシシュポスや、金の羊の物語の発端になる王もいる。ヘレンの一族は、ギリシャ神話のあちこちの英雄の家へとつながっていく。
ヘレンが追い出したことになる古い呼び名のほうは、ローマを経て別の道をたどった。英語の Greek は、このグライコイから来ている。
ただ、『イリアス』の中では、ヘレネスはまだギリシャ人全体の呼び名ではない。英雄アキレウスが率いた北の地方の一部族の名にすぎず、ギリシャ軍全体は、アカイア勢、アルゴス勢などと呼ばれている。前5世紀の歴史家トゥキュディデスはこの点に気づき、ヘレンの子孫たちの勢力が各地に広がるにつれて、その名が少しずつ全体に広まったのだろうと説明している。
この物語の出典: ホメロス『イリアス』、ヘシオドス(に帰される)『女たちのカタログ(エーホイアイ)断片』、トゥキュディデス『戦史(ペロポネソス戦争史)』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
父はデウカリオン、母はピュラ。ヘシオドスの名で伝わる系譜詩でもそうなっている。
ヘシオドス(に帰される)『女たちのカタログ(エーホイアイ)断片』 前6世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
アポロドーロスは「ヘレンの父はゼウスだと言う者もいる」と併記する。ギリシャ人の名祖を神の子にする系譜。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
男性名ヘレン(Hellēn)とトロイアのヘレネ(Helenē)は、日本語では一字違いだが別の名。ギリシャ語では子音(-ll- と -l-)も母音の並びも違い、神話上のつながりもない。
ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
デウカリオンはプロメテウスの助言で箱を作り、ピュラと乗り込んで9日9晩ただよい、パルナッソスに着いた。ゼウスの許しを得て肩越しに石を投げると、デウカリオンの石は男、ピュラの石は女になった。二人の最初の子がヘレンである。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
アポロドーロスによれば、それまでグライコイと呼ばれていた人々を、ヘレンが自分の名にちなんでヘレネスと呼ぶようにした。英語 Greek は、この「前の名」の側、ラテン語 Graeci(ギリシャ語 Graikoi)から来ている。ヘシオドスの名で伝わる断片には、デウカリオンの娘パンドラがゼウスとの間にグライコスを産んだという系譜もある。
ヘシオドス(に帰される)『女たちのカタログ(エーホイアイ)断片』 前6世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
ニンフのオルセイスとの間にドロス、クストス、アイオロスの3人の息子をもうけた。ドロスの子孫がドーリス人、アイオロスの子孫がアイオリス人、クストスの子アカイオスとイオンからアカイア人とイオニア人の名が出た、とされる。部族の起源を一つの家系にまとめた系図。
ヘシオドス(に帰される)『女たちのカタログ(エーホイアイ)断片』 前6世紀頃、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ホメロスでは「ヘレネス」はギリシャ人全体の呼び名ではなく、アキレウスの率いるプティア周辺の一部族の名にすぎない。全体はダナオイ、アルゴス勢、アカイア勢と呼ばれる。トゥキュディデスはすでにこの点に気づき、ヘレンの子孫の勢力が広がるにつれて名が少しずつ広まったのだと説明している。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、トゥキュディデス『戦史(ペロポネソス戦争史)』 前5世紀末
ドーリア式(Doric order)古代ギリシャ建築の柱の様式で、三つの様式のうちいちばん早く、前6〜前5世紀に使われた。柱は太く、中ほどのふくらみ(エンタシス)が強く、柱の下に台を置かない。柱頭は簡素な形で、アテネのパルテノンが代表例。名前は、ギリシャ人の一派ドーリス人から来ている。そのドーリス人の名の起こりを、神話はこう語る。アポロドーロスによれば、ギリシャ人を自分の名にちなんでヘレネスと呼ばせたヘレンには三人の息子がいた。その一人ドーロスが、ペロポネソス半島の向かいの土地を治め、住む人々を自分の名からドーリス人と呼んだという。イオニア人とアカイア人は別の息子の子たちの名から、アイオリス人は三人目の息子の名から出たとされる。
ヘレネス / Hellenic・Hellenistic(ヘレニズム)ギリシャ人の自称ヘレネス(Hellēnes)は、デウカリオンの子ヘレンが自分の名にちなんで人々をそう呼ぶようにした、というのが神話上の説明(アポロドーロス 1.7.3)。トゥキュディデス 1.3 も、ヘレンの子孫の勢力が広がるにつれて名が広まったと説く。英語の Hellene は1660年代、形容詞 Hellenic は1640年代から。Hellenistic は1706年の初出で、1870年代からアレクサンドロス以後の数世紀のギリシャ文化(ヘレニズム時代)を指すようになった。etymonline は Hellēn という名そのものの語源は不明としている。
イオニア式(Ionic order)古代ギリシャ建築の柱の様式の一つ。ドリス式とコリント式のあいだの時期に生まれ、柱の下に台があり、柱頭に渦巻きの飾りがつく。前5世紀後半からの約1世紀が盛りで、アテネのアクロポリスのエレクテイオンが代表例。名前は、この様式が生まれたイオニア地方から。そのイオニア人の名についても、神話は祖先の名を挙げる。アポロドーロスによれば、ギリシャ人を自分の名からヘレネスと呼ばせたヘレンの息子の一人に、二人の子がいて、その子たちの名からアカイア人とイオニア人の名が出たという。イオニア人の名のもとになった孫が、イオンである。