ギリシャ神話の地図
ニュクス娘エレボス息子ガイア後続タルタロス後続エロス後続ティタノマキア大戦ヘメラ孫

カオス

Χάος神

「カオスな状況」と言えば、ごちゃごちゃで手のつけられない状態のことだ。ところが、もとのギリシャ神話のカオスは、ごちゃごちゃどころか、何もない空っぽの空間だった。台所のガス。その「ガス」という言葉も、実はこのカオスから生まれている。17世紀のフランドルの化学者ファン・ヘルモントが、新しく見つけた気体を、カオスをもとにガスと名づけたのだという。

では、神話のカオスがどんなものだったのか、世界のはじまりから見ていこう。

ヘシオドスの『神統記』は、世界の始まりをこう語る。まず最初に、カオスが生じた。それから、すべてのものの揺るぎない座である大地ガイア、大地の奥底のタルタロス、そして神々のなかでいちばん美しい愛の神エロスが現れた。

カオスには親がいない。何かから生まれたのではなく、ただ「生じた」と書かれている。言葉のもとの意味は、「ぽっかりと口を開けたもの」。何もない裂け目、底知れない空間である。

そのカオスから、闇と夜が生まれた。夜は闇と交わって、天上の輝く大気と、昼を産んだ。光は、闇と夜の子として生まれたことになる。

カオスは、その後の話でも、ものではなく場所として出てくる。ゼウスがティタンの神々と戦ったとき、雷の熱はカオスにまで届いた。戦いに敗れたティタンたちは、暗いカオスの向こう側に閉じ込められた。

では、いつ「ごちゃごちゃ」の意味になったのか。ローマの詩人オウィディウスは、『変身物語』の冒頭で、海も大地も空もまだなかったころの世界を、人々がカオスと呼んだ、荒々しく整わない一つの塊、と描いた。ばらばらの種がまとまらずに押し込められた、形のない塊である。秩序ある宇宙の反対としてのカオス。英語の chaos が「大混乱」の意味を持つようになったのは、1600年ごろからだ。

ちなみに、『イリアス』と『オデュッセイア』には、カオスという言葉そのものが出てこない。後の時代、喜劇作家アリストパネスは『鳥』の中で、はじめにカオスと夜と闇とタルタロスがあった、と鳥たちに歌わせ、だから鳥は神々より古いのだと言い張らせている。

この物語の出典: ホメロス『イリアス』、ヘシオドス『神統記』、アリストパネス『鳥』、オウィディウス『変身物語』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』

この物語の人々

こういう風にも語られている

ヘシオドスのカオスは「空隙・深淵」で、後の場面でも場所として扱われる。ティタン戦争ではゼウスの雷の熱が「カオスをとらえ」(700)、敗れたティタンたちは「暗いカオスの向こう」に住む(814)。語源的にも「ぽっかり口を開けたもの」を意味する。

ヘシオドス『神統記』 前700年頃、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)

ローマの詩人オウィディウスは『変身物語』の冒頭で、世界が形を取る前の状態を「人々がカオスと呼んだ、粗野で整理されていない塊」と描く。英語 chaos が「混乱・無秩序」の意味を持つのは、この「秩序(コスモス)の反対」という理解と、その後のラテン語訳聖書での用法による。

オウィディウス『変身物語』 8年頃、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)

もっと詳しく

『神統記』は世界の始まりを「まず最初にカオスが生じた」と語る。次に大地ガイア、奥底のタルタロス、そしてエロスが現れる。カオスは何かから生まれたのではなく「生じた」とだけ書かれ、親はいない。

ヘシオドス『神統記』 前700年頃

カオスからはエレボス(闇)とニュクス(夜)が生まれ、ニュクスがエレボスと交わってアイテル(天上の輝く大気)とヘメラ(昼)を産む。光は闇の子として生まれる、という順序になっている。

ヘシオドス『神統記』 前700年頃

ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』にはカオスという語も存在も出てこない。世界の始まりを系譜として語るのはヘシオドスからで、ホメロスでは「神々の起源」とされるのはオケアノスである(『イリアス』14.201)。

ホメロス『イリアス』 前8世紀頃

残り2件を読む

喜劇『鳥』では、合唱隊の鳥たちが「最初にカオスと夜とエレボスとタルタロスがあった」と歌い、夜が産んだ卵からエロスが生まれ、エロスが翼あるカオスと交わって鳥の一族が生まれた、だから鳥こそ神々より古い、と主張する。ヘシオドスの系譜を下敷きにしたパロディ。

アリストパネス『鳥』 前414年上演

プラトン『饗宴』では、エロスが最古の神であることの根拠として、ヘシオドスの「カオスの次にガイアとエロス」の一節が引かれ、系譜作家アクシラオスも同じ順序を採ると紹介される。

プラトン『饗宴』 前4世紀前半

ほかのつながり(1人)

家族・恋愛

  • アイテル孫

    『神統記』123-125 カオスからエレボスとニュクスが生まれ、その子がアイテルとヘメラ

今の言葉に残る

カオス / chaos英語 chaos は14世紀後半に「ぽっかり開いた空虚・計り知れない空間」の意味で入った語で、ギリシャ語 khaos「口を開けた深淵」から来ている。「無秩序・大混乱」の意味は1600年ごろからで、ラテン語訳聖書の天地創造の場面での用法と、オウィディウスが混沌(カオス)を秩序ある宇宙(コスモス)の反対に置いたことに根がある。数学の「カオス理論」の用例は1977年ごろから。

ガス / gas「気体」を意味する gas は、17世紀のフランドルの化学者ファン・ヘルモントが作った人工語で、ギリシャ語 khaos(空虚)をオランダ語の発音で写したものとされる。ヘルモント自身が「これまで知られていなかったこの蒸気を、新しい名で gas と呼ぶ」と書いている。背景には、パラケルススが khaos を精気の元素のような特殊な意味で使っていたことがあると考えられる。

次に読む

このページの出典(6件)
  1. 前8世紀頃ホメロス『イリアス』
  2. 前700年頃ヘシオドス『神統記』
  3. 前414年上演アリストパネス『鳥』
  4. 前4世紀前半プラトン『饗宴』
  5. 8年頃オウィディウス『変身物語』
  6. 2001年〜(2026年9月閲覧)ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』