プラトン『パイドロス』の蝉の話では、蝉は最年長のカリオペと、その次のウラニアに、哲学に生きてムーサの音楽を敬う人のことを知らせる。この二柱のムーサが、天と、神々と人間の言葉に最も関わっているから、とされる。
プラトン『パイドロス』 前4世紀前半

Οὐρανία神
ムーサのウラニアとカリオペ。ヴーエの絵。 『ムーサのウラニアとカリオペ』 シモン・ヴーエと工房 1634年ごろ ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントン)CC0
天文学を受け持つ女神、ウラニア。その名は「天の」という意味で、天そのものの神ウラノスの名と同じ言葉から来ている。惑星の天王星が英語でウラヌスと呼ばれるのも、同じ言葉のつながりである。
では、この女神が古代の詩人たちにどのように描かれてきたのか、見ていこう。
『神統記』によれば、ウラニアはゼウスと記憶の女神のあいだに生まれた九人のムーサの一人である。名が挙がるのは八番目、九人のうち最も優れたカリオペのすぐ前だ。ただ『神統記』には、九人それぞれの受け持ちは書かれていない。同じ詩の中には、大洋の神の娘たちの一人として、同じ名の別の女神も出てくる。ホメロスの二つの叙事詩には、ウラニアの名は出てこない。
哲学者プラトンは、ウラニアを学問と結びつけた。『パイドロス』に出てくる蝉の話によれば、蝉は死ぬとムーサたちのもとへ行き、地上の人々の様子を報告する。哲学に生きてムーサの芸術を敬う人のことは、いちばん年上のカリオペと、その次のウラニアに知らせる。この二人のムーサこそ、天と、神々や人間の言葉に最も深く関わっているからだという。
ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』では、ウラニアはムーサたちを代表して客を迎える。天馬ペガソスの蹄が大地を打って湧き出たという泉を見ようと、女神アテナがムーサたちの住む山にやって来た。ウラニアはアテナを迎え、泉へ案内した。そして、ムーサに歌比べを挑んで敗れ、カササギに変えられた九人姉妹の話が語られていく。
受け持ちがはっきりするのは、もっと後の時代である。歴史家ディオドロスは、ウラニアの名を、彼女に学んだ人が魂を天の高みへ引き上げられることから来ると説明した。古代の終わりのラテン語の詩では、ウラニアは天の動きと星々を調べる女神として描かれている。こうして、天文のムーサという今日よく知られる姿ができあがっていった。
この物語の出典: ヘシオドス『神統記』、作者不詳『ホメロス風讃歌』、プラトン『パイドロス』、ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』、オウィディウス『変身物語』、作者不詳(アウソニウス作と伝わる)『ムーサたちの名(ラテン詞華集664)』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
プラトン『パイドロス』の蝉の話では、蝉は最年長のカリオペと、その次のウラニアに、哲学に生きてムーサの音楽を敬う人のことを知らせる。この二柱のムーサが、天と、神々と人間の言葉に最も関わっているから、とされる。
プラトン『パイドロス』 前4世紀前半
ディオドロスは、ウラニアの名を、彼女に教わった人が名声と志によって魂を「天(ウラノス)」の高みへ引き上げられることから来ると説明する。ディオドロスはまた、ムーサそれぞれに作詩、旋律、舞踊、天文などの営みが割り当てられていると書く。
ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半
古代末期のラテン語の詩「ムーサたちの名」では、ウラニアは天の動きと星々を調べる者とされる。のちの「天文のムーサ」という割り振りはここにはっきり出る。
作者不詳(アウソニウス作と伝わる)『ムーサたちの名(ラテン詞華集664)』 古代末期(成立年未確定)
オウィディウス『変身物語』では、ペガソスの蹄が開いた泉を見にヘリコン山へ来たミネルウァ(アテナ)を、ウラニアが迎えて泉へ案内する。続いて、ピエロスの娘たちとの歌くらべの話がムーサの口から語られる。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
『神統記』では九柱の八番目、最後のカリオペの直前に名が挙がる。同じ詩のオケアノスの娘たちの一覧にも「神々しいウラニア」がいて、別の女神として数えられている。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃
ホメロスの二つの叙事詩に女神ウラニアの名は出てこない。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
オケアノスの娘ウラニアは『デメテル讃歌』にも出てきて、ペルセポネが冥王にさらわれる直前に一緒に花を摘んでいた仲間の一人に数えられる。
作者不詳『ホメロス風讃歌』 前7〜6世紀頃