オウィディウスでは、眠りの神ソムヌスには千人の息子がいる。モルペウスは人の姿だけをまね、歩き方・顔つき・話し方・服・口ぐせまで写す。獣や鳥や蛇に化けるのは、神々がイケロス、人間がポベトルと呼ぶ息子、土・石・水・木など命のないものに化けるのはパンタソス。彼らは夜、王や将軍に姿を見せ、ほかの息子たちは民衆のあいだをさまよう。
オウィディウス『変身物語』 8年頃

神
眠りの床に横たわるモルペウス(左)と、雲に乗って舞い降りる虹の女神。ゲランの絵。 『モルペウスとイリス』 ピエール=ナルシス・ゲラン 1811年Public domain
アヘンから取り出される薬、モルヒネ。この名前は、夢の神モルペウスから来ている。1816年ごろ、ドイツの薬剤師が、アヘンから取り出した成分に、眠りを誘う働きにちなんでこの神の名を付けた。モルペウスという名そのものは、「姿・形」を表すギリシャ語に由来する。
では、この夢の神はどんな神だったのか。その姿をくわしく描いたのは、ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』である。
世界の果ての暗い国の近くに、山をくりぬいた深い洞窟がある。朝日も昼の日も夕日も、決して差し込まない。地面からは霧と闇が立ちのぼり、目を覚まさせる鳥の声も犬の吠え声も聞こえない。そこが眠りの神の住まいだった。
眠りの神には千人の息子がいた。その中で、人の姿をまねる名人がモルペウスである。歩き方も、顔つきも、話し方も、着ている服や口ぐせまで、そっくりにまねてみせる。ただし、まねるのは人間だけ。獣や鳥や蛇になって夢に現れるのは、神々が「イケロス」、人間が「ポベトル」と呼ぶ別の息子で、土や石や水や木のような命のないものに化けるのは、また別の息子パンタソスだった。
ある日、この洞窟に、虹の女神が神々の女王の使いとしてやって来た。トラキスの王が航海の途中で嵐に遭って溺れ死んだのに、妻はまだそれを知らず、夫の無事を毎日祈り続けている。夫の姿で夢に現れて、本当のことを知らせてやってほしい、というのである。眠りの神は、千人の息子の中からモルペウスひとりを選んだ。
モルペウスは音のしない翼で闇の中を飛び、すぐに王の町に着いた。翼をはずすと王の姿になり、血の気のない青白い顔で、裸のまま、妻の寝床のそばに立った。ひげからはしずくが垂れ、濡れた髪からは水が滴っている。目から涙を流しながら、彼は夫の声で語った。私は死んだ。南風が船を砕き、波にのまれながら、むなしくお前の名を呼んだ。さあ起きて、泣いて、喪服を着てくれ。弔われないまま冥界へ送らないでくれ、と。
妻は眠ったまま声をあげて泣き、夫の体をつかもうとして空をつかんだ。行かないで、一緒に行くから、と叫んだ自分の声で目を覚ましたとき、夫の姿はもうどこにもなかった。翌朝、浜辺に立った彼女の前に、波が夫の亡骸を運んできた。
この物語の出典: オウィディウス『変身物語』、ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』
オウィディウスでは、眠りの神ソムヌスには千人の息子がいる。モルペウスは人の姿だけをまね、歩き方・顔つき・話し方・服・口ぐせまで写す。獣や鳥や蛇に化けるのは、神々がイケロス、人間がポベトルと呼ぶ息子、土・石・水・木など命のないものに化けるのはパンタソス。彼らは夜、王や将軍に姿を見せ、ほかの息子たちは民衆のあいだをさまよう。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
眠りの館は、キンメリオイ人の国の近くの、山をくりぬいた深い洞窟で、日の光は朝も昼も夕方も届かない。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
ユノの命を受けたイリスの頼みで、ソムヌスはモルペウスだけを選んだ。モルペウスは音のしない翼で飛び、溺死したケユクスの姿になって妻アルキュオネの夢に立ち、夫の声と涙で死を告げ、喪に服するよう頼んだ。
オウィディウス『変身物語』 8年頃
アヘンの主成分モルヒネは、1816年ごろドイツの薬剤師ゼルチュルナーが、眠りを誘う作用からモルペウスの名をとって名づけた。名はギリシャ語 morphē(姿・形)から。
ダグラス・ハーパー『オンライン語源辞典』 2001年〜(2026年9月閲覧)
モルヒネ / morphineアヘンの主成分モルヒネは、1816年ごろドイツの薬剤師ゼルチュルナーが、眠りを誘う作用から夢の神モルペウス(Morpheus)の名をとって名づけた。モルペウスはオウィディウス『変身物語』で眠りの神ソムヌス(ヒュプノス)の息子として登場する夢の神で、名はギリシャ語 morphē(姿・形)から来ている。
『変身物語』
オウィディウス 著/中村善也 訳(岩波文庫)
神話の中の変身の話を、ローマの詩人オウィディウスがひとつながりに描いた作品。
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