ホラティウスはメルポメネを三度呼ぶが、どれも悲劇ではない。友の死を悼む歌では「父から澄んだ声と竪琴を授かった」ムーサとして挽歌を頼み、詩集の結びでは自分の頭にデルポイの月桂冠をかぶせてくれと頼み、別の歌では、生まれたときにメルポメネに目をかけられた者は詩人になると歌う。
ホラティウス『歌集(カルミナ)』 前23年・前13年

Μελπομένη神
悲劇のムーサ、メルポメネ。ファニャーニの絵。 『メルポメネ』 ジョゼフ・ファニャーニ 1869年 メトロポリタン美術館Public Domain (The Met Open Access, CC0)
わたしは、青銅よりも長く残る記念碑を打ち立てた。ローマの詩人ホラティウスは、詩集『歌章』の第3巻を、こう誇らしく締めくくった。そして最後に、一人の女神に呼びかけている。メルポメネよ、デルポイの月桂樹の冠を、わたしの髪にかぶせてくれ、と。
では、このメルポメネが、どんな女神として語られてきたのか、見ていこう。
『神統記』によれば、メルポメネはゼウスと記憶の女神のあいだに生まれた九人のムーサの一人で、四番目に名が挙がる。ただ『神統記』は、九人それぞれの受け持ちを語らない。ホメロスの二つの叙事詩には、この女神の名は出てこない。
今日、メルポメネは悲劇を受け持つムーサとして知られている。けれども、それはずっと後の時代の話である。
ホラティウスは、メルポメネに三度呼びかけているが、悲劇のためではない。一度目は、大切な友を亡くしたときだった。父から澄んだ声と竪琴を授かった女神よ、悲しみの歌を教えてくれ。二度目は、先に見た第3巻の結び。三度目は、こう書いている。メルポメネが生まれたときに穏やかな目で見つめた者は、競技の勝者にも戦の英雄にもならない。ただ歌によって名を上げるのだ、と。ここでのメルポメネは、抒情詩の詩人を守る女神である。
歴史家ディオドロスは、その名を、聞く人の心を引きつける「旋律」から来たものと説明した。悲劇のムーサという割り振りがはっきり現れるのは、古代の終わりのラテン語の詩である。そこでメルポメネは、悲劇の声で悲しげに叫ぶ者として描かれている。
アポロドーロスは、この女神に意外な子どもたちがいたと伝える。河の神とのあいだに産んだのが、美しい歌で船乗りを誘い、破滅させる怪物セイレンたちだった。歌の女神の娘たちが、歌で人を死に誘う。
この物語の出典: ヘシオドス『神統記』、ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』、ホラティウス『歌集(カルミナ)』、アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』、作者不詳(アウソニウス作と伝わる)『ムーサたちの名(ラテン詞華集664)』
ホラティウスはメルポメネを三度呼ぶが、どれも悲劇ではない。友の死を悼む歌では「父から澄んだ声と竪琴を授かった」ムーサとして挽歌を頼み、詩集の結びでは自分の頭にデルポイの月桂冠をかぶせてくれと頼み、別の歌では、生まれたときにメルポメネに目をかけられた者は詩人になると歌う。
ホラティウス『歌集(カルミナ)』 前23年・前13年
古代末期のラテン語の詩「ムーサたちの名」では、メルポメネは悲劇の声で悲しげに叫ぶ者とされ、のちの「悲劇のムーサ」という割り振りにつながる。
作者不詳(アウソニウス作と伝わる)『ムーサたちの名(ラテン詞華集664)』 古代末期(成立年未確定)
アポロドロスによれば、メルポメネは河神アケロオスとのあいだにセイレンたちを産んだ。歌で船乗りを破滅させるセイレンが、歌のムーサの娘という系譜になっている。
アポロドーロス(偽アポロドーロス)『ビブリオテーケー(ギリシア神話)』 1〜2世紀頃
ホラティウスは『歌章』第3巻を「青銅より長く残る記念碑を打ち立てた」と始まる歌で結び、最後にメルポメネに、デルポイの月桂樹を自分の髪に巻いてくれと頼む。
ホラティウス『歌集(カルミナ)』 前23年・前13年
『神統記』では九柱の四番目に名が挙がる。ヘシオドスは担当分野を語らない。
ヘシオドス『神統記』 前700年頃
ホメロスの二つの叙事詩に、ムーサとしてのメルポメネの名は出てこない。
ホメロス『イリアス』 前8世紀頃、ホメロス『オデュッセイア』 前8世紀頃
ディオドロスは、メルポメネの名を、聞く人の心を引きつける「旋律(メロディア)」から来ると説明する。
ディオドロス(シケリアの)『歴史叢書』 前1世紀後半